脇道をうろうろと

 「ジャズで踊って」の本筋から離れて、永井智子さんの後を追って、脇道にそれ

ていることです。昨日は、荷風が永井さんとそのパートナーであった菅原明朗さんと

ともに明石へと疎開するところを、荷風の日乗の20年で見ておりました。

 荷風と永井智子さんと菅原さんは、昭和13年に荷風の筆による「葛飾情話」とい

うのをオペラに仕立てて、上演しているわけですから、日乗の昭和13年をチェック

したら、この「葛飾情話」についてでている可能性が高いということですね。

 それは見てみなくてはで、その昔に確保した「荷風全集第22巻」をひっぱりだし

てくることにです。(荷風の「断腸亭日乗」この全集の端本を集めてそろえたのです

ね。この22巻は新刊で買ったのかもしれません。昭和47年11月刊で850円、

京都ふたば書房の書皮がかかっていました。)

 なんのことはなしで、昭和13年5月17日に「葛飾情話」は初日を迎え、それか

ら5月26日の終演の日まで、荷風は毎日上演される「オペラ館」に詰めているので

ありました。

 初日について書いているところを引用です。

「五月十七日 晴 歌劇葛飾情話初日なり。午前十一時に起き浅草に走せ赴く。菅原

君楽座に立ちて指揮をなし、正午情話の幕を揚ぐ。意外の成功なり。器楽の演奏悪し

からず。テノール増田は情熱をもって成功し、アルト永井は美貌と美声とを以て成功

し、ソプラノ真弓は誠実を以て成功をなしたり。微雨屡来りて蒸暑甚し。演奏後小川

丈夫と蔦屋に一酌してかへる。午前三時。」

 なるほど、ここではずいぶんと密な付き合いが続いていて、これはゆっくりと読ま

なくてはです。

 そう思ってながして見ていましたら、七月十五日のところに「ジャズ舞踏のはなし」

というくだりがありました。

「今日の浅草の劇場にてジャズ音楽またはジャズ舞踏と称するものはいづれも亜米利

加の寄席にて行はるる舞踏の曲譜を取り寄せそのまま之を模したるものなり。今日一

般にこの種類の舞踏を劇場にて興行する時これをレビューといふなり。されど

レビューの名称は昭和三、四年以後普及したるものにて、其れまでは唯少女歌劇また

はヴォードヴィルと称えたり。」

 このくだりは、「オペラ館にて振付斎田栄二郎氏の語る所を記したるなり。」と

ありました。

 オペラ館というのは、「ジャズで踊って」にもでてくるのでありますが、この振付

の斎田栄二郎さんという人は、出てくるのだろうか、この本に索引がないのは残念で

ありますが、もうすこしページをパラパラとしいてみましょう。

文庫 ジャズで踊って: 舶来音楽芸能史 完全版 (草思社文庫 せ 2-1)