書災のことなど

 昭和22年9月に刊行された「詩と小説のあひだ」は、ロシア文学者 神西清さんの
エッセイ集ですが、戦後まもなくの本でありますから、これ以下の紙に印刷をしたら
本にならないのではないかと思うようなもので、よくぞ、60年間もぼろぼろにならずに
本の体裁が残っていたなと思うのでした。
 戦争が終わった翌年でありますからして、戦災の話題をしても、つい昨年のことであって、
現代において神戸の大震災を語るよりも、まだ身近な話題となるのでした。
この本がでた前年の3月には、東京大空襲があって、これでは多くの人々がなくなるほか、
貴重な文化財が焼失したといわれています。日本の歴史でこれだけ一度に文化財が失われた
のは、応仁の乱いらいであったのだとか。
 東京大空襲については、同時代では「永井荷風」によるものが有名であります。
「書災のことなど」という文章で、神西さんが、永井荷風の偏奇館焼失のことについてふれ、
失われた書籍とそれらを購入したであろう荷風の人生までもが失われてしまったと思われると
かいているのでした。
「 永井荷風氏の罹災日録は、戦後にあらわれた諸家の文章のうち、襟をただして読むべき
ものの随一、あるいは唯一でさえあろうかと思う。現在公にされたのは昨年前半の分のみで
あるが、刻々に激化していく情勢のもと麻布界隈の明け暮れ、偏奇館の炎上、代々木に続いて
東中野の仮住い、そのアパートの焼亡から関西方面への逃避行、その足跡をたどるだけでも
今更ながらながら胸の疼く思いである。 
昨年の暮れあたりから警報が頻繁になるにつれて、自分の蔵書のことは案外あっさりと半ば
あきらめ、半ば安心して打ち捨てておけたが、直接間接に見聞している稀覯書などの纏まった
収集の運命の方が、他人事ならずだんだん気がかりになってきた。そのうち身近では、友人
二人の蔵書が相次いで灰燼に帰した。いずれもロシア古典文学の収集としては相当に系統の
たったものであった。」
「 応仁の乱を顧みてさらに哀傷に堪えないものに夥しい書巻の燼滅がある。一條家桃華坊
文庫の劫略のことは兼良自身が竹林抄の序に記し、宣長は玉勝間に、一合五十巻とみれば
凡そ三萬五千余巻になると見積もっているが、その中にはほかに複本もなくそのまま永久に
姿を消してしまった貴い文献も数多かったことであろう。」