やっと知っている名前が

 相変わらずで、ちびちびと瀬川昌久さんの「ジャズで踊って」を読んでおります。

 音楽評論家である瀬川昌久さんの名前は、もちろん知っておりましたが、なんと

なく古いジャズを専門とする方という思い込みがありまして、ジャズ雑誌などでも

瀬川さんの文章を注目して読むことはありませんでした。

 今回、たまたま草思社文庫に入った「ジャズで踊って 舶来音楽芸能史 完全版」

を読んでいて、これはもう少し早くに読むのであったかと思ったことです。(とは

いっても、これの元版は、入手が難しいものでありましたし、清流出版から刊行され

たものも、手にしたことがありませんでした。そういうことからは、今回の文庫化

は本当にありがたいことです。)

 新潮社「波」2023年12月号の筒井康隆さんの「アルコール・煙草・ジャズ」

という文章には、この本を読んでの感想が書かれていました。

「凄い本だとしか言いようがない。明治時代から説き起こされたりするのだが、次第

に知っている人名が増えてくるなどこたえられない。・・・読み終えるのがつらく、

いつまでも読んでいたいと思わせてくれた本であった。」

 「瀬川さんとおれの関係についてはこの本末尾に詳しい」とあるのですが、この

編者あとがき(文庫版の編集は高崎俊夫さん)を、先に読みたいという気持ちを

ぐっと抑えることにです。

 当方よりも17歳も年長の筒井さんが「次第に知っている人名が増えて」と記し

ているのですが、当方などどこまで読んでも知っている人名は出てこなく、たぶん

最後まで読んでいっても、その実演を見た演奏家やダンサーは登場しないでありま

しょう。

 読んでいて、ひっかかってくるのは、その演奏家の息子、娘、孫さんなどが活躍

しているからでありまして、有名どころでは森山良子さんの母上とか、マイク真木

さんの父上とかでありますが、このあたりは聞いたことがありました。

 あとは、山口昌男さんが本にした「菊谷栄」さんとか、沢田隆治さんが書いた

「永田キング」の紹介などもあって、これらの人に一層興味がわいたことです。

 たぶん、この本で一番びっくりしたのは、「永井智子の『私の好きな歌手列伝』」

を読んだことでしょう。

 書き手の永井智子さんという方は、エノケン劇団の歌手だった人とのことで、彼女

が劇団の会報に連載したもの要約して採録されています。

 当方はスタンダードソングが好みでありまして、特に女性ヴォーカルを好んでお

りますが、さすがに昭和10年ころの歌い手さんは、ほとんど名前を聞いたことも

ない人が多く、それらの人が同時代の日本の歌手にどのような影響を与えたかが

記されていて、たいへん貴重です。

 当方も名前は知っているエセル・マーマンについてのところの部分を引用。

「残念乍ら彼女のレコードは日本版がでていないがブランズウィックに三枚ある。

文芸部の菊谷栄さんは、エセル・マーマンの大讃美者であるだけに、大変な苦心

の末、彼女のブランズウィックのレコードを二枚入手しておられる。・・

 映画に進出したジャズ歌手はずいぶん多いが、男性ではビング・クロスビー

女性ではエセル・マーマンが最も成功した、といわれている。彼女程スウィング

のある、しかもペップの歌手は、男性のなかにも見あたらない。」

 昭和11年くらいにこのような文章を書いている女性歌手がいたとは、驚くし

かありません。こんな人がいたのかと思っていましたら、彼女の文章を紹介する

最後に、次のようにありました。

「永井智子は永井荷風のオペラ『葛飾情話』の主役を演じ、戦後モーツァルト

魔笛』で三人童子のアルトをうたったりした。現在歴史小説家として活躍する

永井路子さんの母に当たる。」

 これまたびっくりであります。

文庫 ジャズで踊って: 舶来音楽芸能史 完全版 (草思社文庫 せ 2-1)