赤星本を読んでいたら

 与那原恵さんの「赤星鉄馬 消えた富豪」を読んでおりました。ずいぶんと

色々な人が登場することでありまして、巻末に索引がありましたら、読み返す

ときに便利であるのにと思ったりもしました。

 赤星鉄馬という赤星一族の総領を中心に、その一族の人々や周辺の人物にも

話が及ぶのでありますが、USAから朝鮮半島へと、その活動の範囲は広がって

いるのでありました。

 朝鮮半島では牧場などを経営していたのですが、鉄馬の弟である五郎という

方が、それを担当して駐在していました。その五郎さんは、牧場よりも熱心に

取り組んだのは「朝鮮陶磁器の蒐集」であったとありました。

 その赤星五郎さんの回顧談が紹介されていまして、それを引用です。

「やきものについては、大正の終わりごろ、青山民吉君と同行し、京城で浅川

伯教さんにお眼にかかったのが縁のはじめであった。当時は李朝ものを鑑賞す

る人も、買う人もなく、染付の壺や辰砂の徳利など、五円くらいでよりどりみ

どりというありさまであった。」

 この文中の青山君という人は、弟が青山二郎とありました。浅川さんは、弟

の巧とともに朝鮮古陶磁の研究者・紹介者としてよく知られるとあります。

 柳宗悦さんが「浅川兄弟とともに『朝鮮民族美術館』を開館するのは十三年で

ある。」ともありました。

 これを目にして、何ヶ月か前に購入した文庫本を取り出してくることになり

です。

 この文庫本の解説に赤星五郎さんの名前があがってくるかなと思いましたが、

柳宗悦はありますが、残念赤星さんの名前はなしです。

 ちなみに浅川兄弟が蒐集し、「朝鮮民族美術館」に展示していたものは、一部

は「日本民藝館」に移管され、残りは現在の韓国国立中央博物館に収蔵されてい

るとのことです。

 そして五郎さんの収集品は、安宅コレクションの一部となり、それは現在は

大阪東洋陶磁美術館に収蔵されることになったわけです。

 赤星鉄馬さんは、ブラックバスとか釣りに凝っていましたが、特に何かを蒐集

することはなく、資産をもとにした財団で学術研究への補助をして終わったので

すが、その啓明会という団体への興味から、与那原さんは赤星鉄馬さんを調べは

じめたとあります。

 自分の名前を冠することなしの人でありましたので、時間とともに忘れ去られ

ることを望んだのでありましょう。