本日は朝起きてからふとんのなかで、乗代雄介さんの「旅する練習」を読ん
でいました。200ページに満たない中編で、文芸誌に一挙掲載され、そのあと
芥川賞の候補作品となったものです。
乗代さんは、毎回のように芥川賞の候補になっていて、いつ受賞しても不思議
ではないのですが、なぜ受賞しないのでしょうね。
最近の芥川賞候補のなかでは、乗代さんの書くものは当方にはあっているのでは
ないかと思って、めったないこと候補となった作品をいくつか読んでいます。
ちょっと凝りすぎであったり、そこまでしなくてもいいのにとか、なかなか
いい具合でいっていたのを、自分で壊してしまったりするのが乗代流であるの
かもしれません。
これまで読んだなかでは、今回の「旅する練習」が一番素直に読むことができ
るものでした。
ロードムービーのごとくで、二人と一人の三人でともに旅するのを、旅先に
ゆかりの文人などのエピソードや著述を散らばせるやり方も、このくらいであれ
ばついていくことができるかなです。
途中で佐原を通過するときには、その昔にこの街で暮らしていた友人がこのく
だりを読んだら喜ぶであろうなと思ったりです。古井由吉がこの街の女学校で
教師をしていたというようなことも書かれていて、楽しむことにです。
小説家のおじさんとその姪(小学6年生で、中学受験を終えた春休み)が鹿島
神宮までいく話でありますが、この年恰好といいますと、当方の大阪にいる家族
と被ることでありまして、その女児ともすこし重ね合わせながら読み進みました。
ということで、最後まで読んだところで、あれっそれってないでしょうよと声
がでそうになりました。
これって読者を敵にまわすことにはならないのか。ほっこりと心温まる小説を
乗代さんに期待をしてはいけないということですね。
最後の一行を目にして、これって漱石「坊ちゃん」の終わり方ではないのかと
思ったりです。
ということで、大いに楽しみ、大いに不満を感じて、これは文庫になったら、
必ず買って読み返すぞと思った作品であります。