野暮用より戻って夕食前にひと汗かいてくるわと行きつけの施設でトレーニング
を行うことにです。本日は正味60分の予定で、アップとパワートレを終えて、
残り30分はランニングマシンで、速歩きをしていた時に、着信でありました。
あまり良い予感はせずですが、なぜかうまくつながらず、これが二回ほど繰り返さ
れることにです。結局は、ラインで連絡がはいて、高校のクラスメートが亡くなっ
たとの知らせでありました。
昨年に高校のクラスで半世紀ぶりの修学旅行ということで箱根へと行ったのです
が、彼は夫婦で参加するとなっていたのですが、旅行直前になった病気であること
がわかり、急遽キャンセルとなったのですが、その後は小康状態が続き、この3日
には夫婦で福岡にいってきたとグループラインに報告がありました。
それにしても屈強な彼が、平均よりも早くに亡くなるとは、思ってもいなかった
ことです。学校を卒業してからついた仕事をやめてからは、フィナンシャルプラン
ナーをやっていて、当方が退職したときには、退職金の有効利用で相談をしたので
あります。彼のアドバイスでお金の行き先を決めて、それは10数年たっても、そ
のままにしてあるのでした。さらば、友よ!
彼の死を知らずに図書館から借りてきた本は、温又柔さんのもの。そういえば、
彼は中国語を得意としていて、中国ではなくて毎年のように何か月かは台湾で暮ら
すのが定年後の日々でありました。台湾にはなじみの場所もあったようですが、
コロナになってからは行くことができなかったようで、それも残念なことでありま
した。
温さんが書くところの台湾の言葉事情です。
「年に一度か二度、両親とともに台湾に帰省し、親戚で集まると、私以外の人たち
は中国語をぺらぺら喋っていた。会話のなかには『台湾語』と呼ばれる福建省南部
で話されているみんなん語を期限とする言葉も織り混ざる。けれども、台湾の『国
語』は『台湾』語ではなく、あくまでも『中国』語なのだ。」
1948年から台湾は国民党が支配するようになって、当然のように「中国」語
が学校で教えられる言葉となったのですが、国民党は力をためて大陸への進出を
狙って果たせず、いまは大陸が台湾の呑み込みを狙っていますが、どちらにしても、
昔からの台湾の人にとっては迷惑な話かもしれません。