小説はハードルが高いが

 一部ですごい人気があったのですが、当方には縁のない作品世界でありまして、

作者の名前のみが頭に入っていました。過去に国書刊行会から作品集成がでていて、

この作者さんは、てっきり高齢の幻の作家さんであろうと思っていました。

 その作家さんの作品を手にすることになったのは、2018年にその世界の賞

を総なめにしたことによってです。あまりの評判に、どんなものかなと図書館か

ら借りて読もうと思ったのですが、不思議な世界に歯が立ちませんでした。

 それでも書き出しの一行には、そういった表現があるのかと驚いたものです。

その小説は、すぐに文庫化されて、いつでも読むことができるところにおいて

あるのですが、なんといっても集中力を求められる作品でありまして、気力充実

していなければ、一行も読むことができません。

 なんといっても頭で読もうとしてもダメでありまして、ひたすら作品世界に

入り込もうとしなくてはです。

「シブレ山の石切り場で事故があって、火は燃え難くなった。

 大人たちがそう言うのを聞いて、少女のトエはそうかそうかと思っただけ

だったが、火は確かに燃え難くなっていた。まったく燃えないという訳では

ないのだが、とにかくしんねりと燃え難い。」

 この書き出しは、とっても魅力的で「火がしんねりと燃え難い」というの

には驚きました。火が燃えずらいというのは、昔に薪ストーブを使っていた

時に雨にあたった木をくべたり、生乾きの木を入れたりしたときに経験をし

たことがありますが、この場合は、そうした原因があって燃え難くなっていた

わけではないのですね。

 これが山尾悠子さんの世界なのです。わかりやすい言葉を連ねて、不思議

な世界を表現するということになりますが、そうかそうかと思わなくてはい

けないのですよ。

 上に引いたのは、もちろん山尾さんの「飛ぶ孔雀」の書き出しであります。

 ということで、「飛ぶ孔雀」くらい読まなくてはと思いながら、もう数年が

経過してしまいました。

 そう思っているところに山尾さんのエッセイ集成が刊行され、これが図書館に

入っていたことから、ありがたく借りてきました。先日に大きな書店に足を運ん

だ時に、手に取ったのですが、その時は購入するにいたりませんでした。

 山尾悠子さんは、1955年3月生まれとありますので、当方よりも4学年

ほど下になるのでしょうか。京都での学生生活ということであれば、1年くらい

はかぶっているようです。山尾さんは、ほぼ装幀の間村俊一さんと同じ時期の

同志社文学部ですから。

 本日に目にした山尾さんの文章には、次のようにありです。

「ちょうど私は休筆期間中だったが、笙野頼子さんの最初の単行本『なにもして

いない』が出たとき何故か強力電波を受信して、読んでみると京都で同じ時期に

学生生活を送ったかたとわかり、勝手に親しみを持って読み続けることになった」

 当方も勝手に山尾さんに親しみを持っているのでありますが、そのほかにも、

当方が学生時代の友人が、山尾さんと同じ倉敷の隣町に住んでいることもありま

して、山尾さんをどこかで見かけたら、報告してよと言っているのでした。