本日も相撲を

 本日もモンゴリスト「田中克彦自伝」を開きながら、大相撲中継をNHKBS放送で見物
しておりました。「田中克彦自伝」を目にしながら一番残念なのは、大相撲における
モンゴル出身力士活躍に関する言及がまったくないことでありまして、ほとんどの日本
人のモンゴルに対する関心は、歴史上のチンギスハンと現代の相撲力士によるもので
ありますからね。
 現在、幕内で相撲をとっている若手力士は、相撲界に入門する前はモンゴルで遊牧民
の生活をしていたなんて聞きますと、日本の相撲がはるかユーラシアの「チカラビト」
につながっていると感じますし、本日の解説にはいっていたモンゴル出身親方の日本語
を耳にしましたら、頭の良さと人間としての立派さを感じることです。
 たぶん田中克彦さんは、モンゴルは好きだけども、日本のナショナリストは好きでな
く、それで相撲にも興味がないのかもしれません。
 本日、なんとか自伝の最後までたどりついたのでありますが、痛快な読み物でして、
読後感は小説「坊っちゃん」に近いものがありです。小説の「坊っちゃん」と比べます
と、田中さんのほうが「坊っちゃん」としては育てられてはいないのですが。
 本日読んだところでなるほどなと思ったのは、次のくだり。
岡山大学言語学講座を設けるという江実先生の念願は、1975年になってやっと実現
された。・・教授は、全国の大学に向かって公募することになった。言語学では職がな
く、あぶれている人が多かったから、この人事は注目を浴びた。
 若くて一騎当千の人も応募者の中にあったが、しかしぼくの上に教授として来る人は、
ぼくより年が上でないと教授会が認めるはずはない。いろいろ案じた結果、トルコ語
専門の竹内和夫さんに応募してもらうことにした。竹内さんは当時、東京都葛飾区本田
中学の英語の先生であった。・・
 ぼくが自ら昇進しないで、竹内さんを、しかも中学から上司として招こうというので、
ちょっとしたさわぎになった。」
 岡山大学の教授に中学校の先生がなったということで、ずいぶんと話題になり、その
ことは、当方の記憶にも残っていたのですが、それがどういった経緯からなのかは、
今回、田中さんの文章を読んではじめてしりました。いかにも田中さんのような人が
いなくては、こういう離れ業はできませんですね。