壷へのこだわり

 当方の身近にある壷といいますと、何がありますでしょうね。

 その昔であれば生活用品として普通に使われていた壷も、最近の台所で見か

けることはほとんどなくなっているようです。比較的物持ちの良い、当方の

台所でも見当たらないくらいですからね。

 ということで、最近にも普通に使われているだろうと思われる壷といえば、

人間が亡くなってからおさまる骨壷のことが思いだされました。

こんなことを思ったのは、本日の新聞に掲載の「語る 人生の贈りもの」の

井上萬二さんの話に、次のようにあったからです。

「忘れられない恩人のおひとりが、高野与作さんです。岩波ホール総支配人の

高野悦子さんのお父さんです。高野家は三姉妹で次女の光子さんは陶芸を学び、

窯業試験場時代、私がろくろを指導した縁もありました。・・・

(高野与作さんは)『死んだらお前の焼き物に入りたい』といってくれました。

 高野さんの遺骨は三分の一が私の白磁の骨つぼに、三分の一は中国で水葬

されたそうです。・・(残りは)私は高野さんの骨をすり鉢で砕き、土に混ぜ

白磁の一輪挿しと線香立てを作りました。高野家の仏壇に添えられました。」

 亡くなってから、このような骨壺におさまるというのがありなのかと思うと

ともに、ボーンチャイナということで白磁になるというやり方もあることに

驚きました。

 そういえば、その昔の文人には、没後に著名な作家の壺におさまり、納骨さ

れたのだけど壺ごと盗難にあったなんてことがありました。(志賀直哉さん

でありますね。もちろん壺が目的で、骨がほしかったのではないと思われる

のですが。)

 高野悦子さんの名前があがっていましたので、これは高野さんの著作でも

言及されているかなと岩波現代文庫からでている「母」を手にしてみることに

なりです。

 高野悦子さんは、この本のなかで井上萬二さんについて、次のように記して

いました。

「墓と一緒に二個の骨壷が用意された。有田の陶芸家で、今では人間国宝になら

れた井上萬二さんの白磁の壺である。井上さんは、父母がその人柄を愛し、若い

頃から将来を嘱望し、息子のように思っていた人である。まず父が一つ目の白磁

の壺に収まり、今もう一つの壺に収まった母が、自宅に戻ってきた。」

 人間国宝になるような方に、骨壷を依頼するというのは、なんというこだわりで

ありましょう。贅沢といえば、こんな贅沢なことはないことです。