1932年生まれの作家たち

 本日の新聞には1932(昭和7)年生まれの作家の訃報が掲載されていました。

当方はあまり親しみを感じなかったので、この場ではほとんど話題にしていない

だろうと思いましたが、雑誌で坪内祐三さんがロングインタビューをしたときに

とりあげていたりして、そうなのかそんなこともあったかと再確認です。

 1932(昭和7)年は、旧制度で小学校をでて中学や女学校に入学し、在学中に

新制度が発足するという、子どものころは少国民として育てられ、戦後は民主教

育を受け、環境が激変したのでありますね。

 先日に亡くなった作家の他でいきますと、小林信彦五木寛之後藤明生

黒井千次高井有一などがいるとのことです。高井さん、後藤さん以外は、健在

でありまして、五木さんなどは精力的に活動を続けていますが、このなかにおき

ますと先日に亡くなった作家さんは、ちょっと異質な感じがしますですね。

 後藤、五木というお二人は、外地からの引き上げ者でありまして、それぞれ

今でいうところの中学生のときに、たいへんな思いで本土に引き上げてきたの

でありました。

 そんなことを思っておりましたら、本日に届いた岩波「図書」2月号に斎藤

真理子さんが「二人の同級生 後藤明生と李浩哲」という文章を寄せていました。

 斎藤さんの文章の書き出しを引用です。

後藤明生は耳の良い人だったと思う。それは後藤自信が『夢かたり』の中で

『私は朝鮮語の達者な中学一年生だった』と書いていることと重なる。

植民地時代に聞いた朝鮮語を作品中に記した日本の文学者は何人もいるが、後

藤明生のそれは、どこかずば抜けている。」

 へえーそうなんだ。こういう切り口で書かれると、ついつい引き込まれるこ

とです。当方は、後藤明生の作品が好きで集めているのですが、積読が多くて

いまだ代表的な作品も読むことができていません。

 それでも、後藤作品に朝鮮時代のことが影を落としていることはなんとなく

承知していました。

 斎藤さんは、続けて次のように書いているのです。

「ところで、後藤が敗戦まで通っていた元山(ウオンサン)中学には、後に

韓国で有名な作家となる李浩哲がいた。敗戦の年の四か月間だけ、二人は同級

生だった。後藤明生は『内向の世代』の代表であり、李は『分断文学』(朝鮮

半島の分断状況を描いた文学)の巨匠と呼ばれている。元山中学が名門校だっ

たことを考えても、すごいクラスがあったものだと思う。」

 後藤さんと李さんでありますが、李さんは後藤さんが同級であったことを

知っていて、後藤さんはまるで記憶になかったということですが、その後の

お二人の関係について、斎藤さんは書いているのですが、それも含めて興味深

いことでありまして、近いうちに後藤作品を読んでみたいと思わせることで

あります。

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