賛々語々」遺稿から

 昨日に引き続きで「みすず」6月号の「賛々語々 遺稿」から話題をいた

だくことになりです。

 小沢信男さんは6月5日生まれでありますから、健在でありましたら、今週

末には94歳のお誕生日でありました。死んだ子の年を数えるという言葉が

ありますが、こういう時は、なんというのでありましょう。

 小沢さんの遺稿となった「賛々語々 121回」は、次のような書き出しであり

ました。(すこし省略しています)

「たとえば池内紀。たとえば坪内祐三。お若いころにたまたま知り合い、その

後も浅いご縁ながら深く信頼してきた人々が、突如に居なくなりました。

 両氏とも、出会いは年に一、二度もありやなしやでしたが、気配は常に感じ

ていた。その盛んな著述が途絶えるとはいえ、新刊は続くし、葬儀にも出向け

なかったので、こちらの気分はほぼ変わらず、なまじ頭が死亡と承知している

のが気に食わない。

 おもえばそういう人々が、年ごとに増える一方です。

 いまさら気づけば、おおかたがもはや死者ではないのか。つまり私は、おお

かたあの世の人たちと共に生きている後期高齢者に通例のことか。その大量の

想念を想えば、この地球上には、あの世が霞のようにたなびいている。」

 発表しようと思いながら、推敲途中に命が尽きてしまったものでありますから

して、小沢さんが書いたものではあるものの、これからまだまだ手が入ったの

であろうと思われることです。

 それでも書き出しの「たとえば池内紀。たとえば坪内祐三。」というところ

が変わることはありません。この二人に限らず、昨年に限っても弟さんとか鬼海

弘雄さんなどが亡くなっていますからね。

 弟さんのことは、たしか「「賛々語々」でも取り上げられていましたが、これ

もひどくショックであったようであります。