本の借り換えを

 図書館から借りている本の返却日となりましたので、本の借り換えのため

に行くこととなりです。なんとか読めたような気がするものは返却し、もう

すこし手にしていたいものは延長し、それに新しいものを追加してこれから

連休にかけての図書館本ということになります。

 新しく借りてきた一冊は、次のものです。

 当方は手先が器用ではありませんでしたので、鉱石ラジオに親しんで、そのあ

とに半田コテをにぎって、ラジオまたはアンプを自作するということはありま

せんでした。

 それでも当方は、ちょうどそうした世代でありまして、高度成長を支える日本

の技術力がいわれていた時代に小学校に通っていました。ものごころがついた時

に、我が家にはラジオがありまして、野球が好きな父は、これで夜に野球中継を

聞いていました。中波の放送は途中で中継が打ち切りになるということで、短波

放送を聞くことができる装置をとりつけていました。

 もちろん真空管の時代でありまして、最後のほうは大阪音響のマジックアイ付

きというのを使っていて、そのラジオは、当方が高校で下宿生活を送るときに、

下宿先にもっていったのではないかと思うのですが、そのへんはちょっとあや

ふやです。

 そんなことを思いだしながら、この本でオンキョーで検索をしてみますと、

296ページの写真に、次のようにありました。

「オンキョー OS-55型 マジックアイ付 5球スーパー 大阪音響 1953〜54

年大阪音響のラジオ一号機普通のラジオのスピーカーは6.5インチ(16センチ)だ

が、同社は8インチ(20センチ)の本格的なスピーカーを搭載し、『音の良さ』を

強調した。」

 当方の記憶には、この大阪音響のマジックアイというのが焼き付いています。

マジックアイというのは、ラジオのチューニングがあったことを教えてくれるも

のですが、猫の目のようになっていたのであります。当方のところにあったのは、

このOS-55の後継機であったのでしょう。5球スーパーというのも、なんとなく

高級な感じがしないでしょうか。

 なんといっても、そのすこしあとの1962年にペーギー葉山さんは、「かあ

さんの歌」で「ふるさとの冬はさみしい せめてラジオ聞かせたい」と歌うので

ありますからね。

 まだまだ田舎ではラジオを聞きたくとも聞くことができない人がいたというの

が、1960年代初め頃の日本でありました。