世代のカリスマ

 昨日に引き続きで臼田さんの「<美しい本>の文化誌」から話題をいた

だきです。

 「世代のカリスマ」というのは、臼田さんが白井晟一さんについて表現し

ているのでありますが、白井さんは1905年生まれで、1983年に亡くなった

建築家です。臼田さんは1943年生まれですので、当方よりもほぼひと世代

年長となります。

 60年代に入ったら建築家は文化ヒーローとなるのでありますね。その代

表はアカデミズムに軸足を置いていた桂冠建築家ともいうべき丹下健三で、

丹下とまったく違った動き方をして存在感があったのが、白井晟一さんで

あったようです。白井さんはたぶん東京オリンピックに関わる仕事はまった

くしていないはずです。

 それじゃ1960年前半には何をしていたかでありますね。ものづきな当方は

1985年に一冊まるごと特集がくまれた「建築文化」2月号を買ったのですが、

それの年譜1963年には、次のようにあります。

「 高度経済成長の時代に入り、建築界は東京オリンピック、大阪万国博覧会

 へと浮き足だっていく中で、白井の一連の『親和銀行』関係の仕事が、頭取

 北村徳太郎および坂田重保の理解のもとに始められる。」

 白井晟一さんの代表的な作品が親和銀行ものでありまして、これらによって

当方のような世代にもカリスマ的な存在となったのです。現代において安藤

忠雄の手掛けた建築物を見に行くように、白井作品に足を運んだひとがいま

したです。

 当方が徘徊する地域には白井作品はほぼないはずでありまして、当方が初め

て白井作品の前にたったのは、横手興生病院でありました。秋田に住む友人が

この病院の前でハンストにはいっている患者の支援に行くので、一緒に行こう

といわれて、わけも分からずについていきました。たぶん1970年代の中頃の

ことで、横手興生病院は1962年建築ですから、まだそんなに時間はたってい

なかった。建築から60年ですので、白井さんによるあの病院はもう残ってい

ないのでしょうね。

 話を白井晟一さんの装釘に戻したいところですが、これがどのようなものを

手掛けているのか、ほとんど資料がありません。昨日に書き込みをいただいた

ように中央公論社のものには、そこそこありそうですが、いったいどのくらい

あるのでしょうか。

 そんなわけで「建築文化」の特集号をチェックしてみるのですが、さーっと

みた限りでは、林芙美子とのことは話題になっていても、装釘に触れている

ところは見当たらずです。

 そう思って検索をかけましたら、白井晟一研究会のホームページに一覧が

ありました。 http://sshirai.starfree.jp/bookdesign.htm

それから中公新書と文庫を除いたものを、以下に貼り付けておきます。

1「眞實一路」全 山本有三著 新潮社 1936.11.1.発行.
          挿繪 近藤浩一路・装幀 南澤用介
        * 南澤用介:当時の白井晟一ペンネーム

2「路傍の石山本有三著 岩波書店 1941.8. 装幀 南澤用介

3「道しるべ」山本有三著 實業之日本社 1948.1.25. 装幀 白井晟一                    
4「無事」 山本有三著 ほるぷ出版 1972.12.1. 装幀 白井晟一 
5「チェーホフ戯曲集」神西 淸 譯 中央公論社 1957.12.25.印刷 
        装釘 白井晟一      1958.1.10.発行         

6「灰色の眼の女」  神西 清 著  中央公論社 1957.7.10.発行
        装釘 白井晟一 
7「自由と責任とについての考察」廣津和郎 中央公論社 1958.4.1.印刷
        装釘 白井晟一      1958.4.10.初版発行
8「くるま椅子の歌」 水上 勉 著  中央公論社 1967.6    

9「夢の浮橋」 倉橋由美子著 中央公論社 1971.5.20.発行
           題字 白井晟一
10「白井晟一の建築」白井晟一著/装幀  中央公論社 1974.12.25.
11「西洋木造建築」HOLZBAU KUNST ハンス・ユルゲン・ハンセン編  
        白井晟一研究所 訳編
        白井晟一研究所 装幀  形象社 1975.11.3. 

12「顧之居書帖 二」水原徳言著・ 装幀 白井晟一 形象社 1976.6.
13「恩地孝四郎 版画集」 装幀 白井晟一  形象社 1975.3.10.
14「無窓」白井晟一著/装幀   筑摩書房 1979.10.30.