年譜の楽しみ

 時間が空いている時に「柳田國男全集」年譜を開くことになりです。

頭から読んでいく必要もないので、気の向くままにページをのぞいています。

昨日に見ていたところに、次のような日のつながりがありました。それは

1926年 大正15年のことです。

「9月19日 日本エスペラント学会の理事会に初めて出席する。

9月24日 26日までの三日間、日本青年館で開かれた第14回日本

     エスペラント大会が開かれ、初日の議長に選出される。

     この日、『東邦民族と国際語』と題して講演し、日本の同志の

     大同団結を呼びかける。」

 この時代の柳田國男は、エスペラントに取り組んでいたことがわかります。

柳田國男エスペラントなんて知らなかったな。9月にこのようにあって、

翌月10月のことになります。

「10月11日 東京高等師範学校地理学会で、『島の話』を講演する。

10月13日 京都大学文学部の生の小川五郎に、原稿のお礼の手紙を書き、

     岩国の猿屋学校のことを尋ねる。」

 エスペラント大会で講演をした柳田が、二週間後に東京高師で講演し、

そのすぐあと小川五郎さんに手紙を書くとあって、この小川五郎とは、あの人

のことであるかと、調べることになりです。

 当方が関心をもつエスペラントの小川五郎さんは、この時に東京高師に

入学したばかりのことで、柳田の話を聞いていたとしても不思議ではないぞ、

しかもその数日後に柳田から手紙をもらっていたとしても、これまたあっても

不思議ではないか。

 それにしても京都大学の小川五郎というのは、ちょっと違うかなということ

エスペラントの小川五郎さん(高杉一郎さん)の年譜とか著作に柳田のこ

とが出てこないか調べてみることになりです。エスペラントとしての柳田さん

について、高杉さんが何か書いていないかなでありますが、ぱらぱらとみま

したが、これはなしであります。

 京都大学小川五郎という人は、やはりまったくの別人であるかなと、年譜を

めくっていきましたら、この方は「京都大学を卒業し、山口高等学校に勤める」

とありました。これはちと残念なこと。

 あと年譜でチェックしているのは、柳田國男の兄にあたる井上通泰さん。

なんとなく探偵小説の翻訳でもしているのかなと思っていた井上さんですが、

検索をかけたら、まるっきり当方の勘違い。この方の孫娘さんが坪内さんと

結婚していて、そこに生まれたのが祐三さんというのは、有名(?)な話。

 この井上通泰家については、通泰さんの長男 泰忠さんに二人の娘しか

なく、ともに嫁いでいて、「泰忠の養子となる予定の山口頼夫が入籍以前に

交通事故死。よって井上家は断絶。」とあります。世が世であれば、断絶を

回避するために、嫁いだ娘の産んだ子供を入籍してつなげるなんてことも

あったのかもです。

 ということで、さすがに柳田(松岡)一族でありまして、年譜と系図をみる

と時間を忘れることです。

柳田國男全集 別巻1 年譜 (シリーズ・全集)

柳田國男全集 別巻1 年譜 (シリーズ・全集)