壁をつくる人

 今も世界のあちこちで壁は作られているのでありましょう。近年で壁を

作ると言って力んでいるのは、はるか東の隣国の王様でありました。長い

壁は作るけども、その費用はそのまた隣の国に負担させるのだとか。

なかなかすごいことであります。お前のところがちゃんとやらないから、うち

に迷惑がかかっているので、だからそのための対策はこちらでするが、その

費用はきっちり負担してもらうからなということですね。

 威張りたい人が支配する大国は、力を誇示しなくては存在意義がない

らしく、あちこちでトラブルをおこし、世界を混乱に巻き起こします。

まったくもって、喉元すぎればであります。

 かって長い戦争のあと、このような言葉が聞かれたのですがね。 

「戦争は人の心の中で生れるものであるから、人の心の中に平和のとりでを

築かなければならない。

 相互の風習と生活を知らないことは、人類の歴史を通じて世界の諸人民

の間に疑惑と不信をおこした共通の原因であり、この疑惑と不信のために、

諸人民の不一致があまりにもしばしば戦争となった。」

 その昔に壁という言葉を聞くと、これは万里の長城ではなく、ベルリンに設け

られたものを思い浮かべました。壁といえば、これが取り壊わされて、そのあと

は少なくなっているように思いましたが、現実はそうではないようです。

 壁はどのようにしてできていくのかであります。

 長谷川四郎さんについての福島紀幸さんの本「ぼくの伯父さん」を読んでい

ましたら、四郎さんの1960年のベルリン紀行についてのくだりがありました。

「『ベルリン物語』のなかにあるのは、1960年のベルリンである。ベルリンは

その年にもあったし、今もある。だが、1960年のベルリンと限定すれば、その

限定の範囲内でベルリンはもうないともいえる。」

 これはもちろん1961年8月13日にベルリンに壁ができて風景がかわり街が

分断されたからであります。

「ベルリンを東と西に分ける境界線はジグザクに入り組んでおり、ある家は、家

の真ん中を境界線が通っていた。それでも、1961年に壁がつくられるまでは、

境界線を跨いで行き来することはできた。多くの人があたりまえのように東と西

を行き来していた。」

 東と西を行き来していたのだけど、行ったっきりで戻って来ないことになった

ことから、壁を作って行くことが出来なくしたわけです。作ったのは東ドイツ政府

となります。

 当方がものごごろついたころには壁が分断していて、これは未来永劫にある

のだろうと思っていたのですが、ある日あっけなくこの壁は破壊されることになり

です。

 あと30年もすれば、ベルリンに壁が存在していたことも忘れられるのでありま

しょう。

  長谷川四郎さんには、壁が崩壊したベルリンを見てもらいたかったことです。

ぼくの伯父さん: 長谷川四郎物語

ぼくの伯父さん: 長谷川四郎物語