ただの文士か

 堀田善衛さんについて書いた本「ただの文士」を斜め読みしています。

堀田さんの一人娘さんが書いたものとなります。

ただの文士――父,堀田善衞のこと

ただの文士――父,堀田善衞のこと

 

  堀田さんといえば、生家は富山は伏木で江戸時代から続く廻船問屋であり

ます。どのくらいの規模であったかはわからないのですが、北前船をもって、蝦夷

から大阪までの交易をして財をなしたのでありましょう。旧制中学に入った頃に

家業は傾いていたとありますが、それでも大学に進むだけの力があったのです

から、普通の家庭ではないですね。

 どのような育てられ方をしたのかはわかりませんが、「他の人と違った少年時

代を送ったことが、他の人と大変違った要素を私に与えたのだろう。」と本人は

いっているとのことです。

 こういう育ち方がユニークな個性を育んだといえますね。一緒に暮らしていた

家族にはちょっと困ったところもあったようですが、外に女性を作って家によりつ

かないとか、生活費を入れないということはないようです。

 それでも、文学運動とかそれに関わっての活動などでは、家族は聞いてない

よというようなことがあったとのことです。それは1967年の秋のことであったと

あります。

「元『週刊読書人』の編集長で、ベ平連世話人でもあった栗原幸夫氏の電話

から始まったのでした。父は、母と私を呼びました。

『クリさんから電話があった。横須賀の空母イントレピットから脱走したアメリ

兵四人のうちの二人を何日かかくまってほしいということだ。承知したから、

よろしく頼む」

 ベトナム戦争の時代です。当時のアメリカは徴兵制度がありまして(今も廃止

となっているのではなく、停止とありました。)、ある年齢になると兵隊になること

が義務付けられていました。もちろん、戦地にいく可能性はかなり大きく、それ

は生死にかかわることでありました。

 そんな軍隊から脱走した兵隊がいたのですね。この人たちがどのようにして

アメリカの主権の及ばぬところへ逃げおおせたかとのには、ベ平連の人たちの

ネットワークによるものです。もちろん、具体的な人物の関わりについては、隠さ

れていたと思いますが、そうした匿うネットワークの中に堀田善衛さんがいたの

は、この本で初めて知りました。

 この脱走兵をめぐっては、次のような本があるということを、この本で改めて

知ることとなりました。

となりに脱走兵がいた時代―ジャテック、ある市民運動の記録

となりに脱走兵がいた時代―ジャテック、ある市民運動の記録

 

 最近でいきますと、「となりに技能修習生がいる時代」となるのでしょうか。