渡辺一夫さんはエッセイ集で文庫になっているものが少ないため、昨晩は
書棚の上のほうにある著作集(もちろんその昔に古本であつめた端本)の
「偶感集」をとりだしてきました。主要なエッセイはこの三冊の偶感集(全集で
いいますと10巻から12巻になります。)に収められています。
ちっとも読めなくても、読んで理解できなくても渡辺一夫さんの「偶感集」
は手元においておきたくて、学生の時に買ったものです。現在、この三冊は、
ネットでずいぶんと安く売られているようで、今であれば新刊の文庫本よりも
安いのでありますからして、これは年金生活者にはありがたいことです。
上に表示の「偶感集」は76年とありますから、増補された二回目の著作集
のものとなるようです。(ここでは11巻をリンクしてみましたが、10巻も12巻も
値段はそんなにかわらないようです。これは本日の話でありまして、これから
値段は動く可能性はありますが、その際はご容赦を)
この集に収録の「宛名のない手紙」を読んでみることになりです。文章が書
かれたのは1951年でありますので、日本は占領下にあって、朝鮮半島では
戦争が起こっていました。
ちょっと前まで大きな戦争があったというのに、その傷もおさまらないうち
に次の大きな大戦の予兆であります。
そうした時代に、「人類は、まだ若く、成長の途上にあるので幼児のような
不始末をするかもしれないが、いずれは、そうでなくなるだろう」という考え方
に依拠して努力せぬ限りは破滅しかないという認識で、次のようにいいます。
「現在の世界は、洋の東西を問わず、何らかの形の全体主義・統制主義の世
界になっています。これは現段階のやむを得ぬ状態と思いたいのです。そして、
この状態が人間を不幸にしないですむためのほとんど唯一の方法は、人間が
自分の作ったものの機械に奴隷になりやすいということを徹底的に反省して、
事毎に、自らを戎めること以外にありますまい。」
この文章が書かれてから70年近くたって、人類はすこしは成長をしたので
ありましょうか。人類の歴史、何万年もでありますので、それの70年間など
瞬きするにも足りないかもしれません。