「みすず」8月号 2

 「みすず」8月号を手にして、四十年ぶりくらいでジョン・バージャーの文章を眼に
することになりました。
 ジョン・バージャーが画家で、美術批評の分野で活躍する人であることは、「G」を
読んだ時に知ったのですが、その関係の訳書が数冊刊行されていることは知りませんで
した。けっこうむずかしい文章を書く人であるようなので、これらのものを読んでみる
ことにはならないと思われます。
 今月の「みすず」に掲載されているバージャーのタイトルは「屈することなき絶望」
というもので、2005年12月の日付があるのですが、イスラエルパレスチナ人領地で
起こっていることについての文章です。
 イスラエルの入植地が拡大するということは、取りも直さずパレスチナ人の領地が減
少するということにつながります。
「入植地は拡大し、あるいは新たに建設される。パレスチナ人には立ち入れない入植地
のための専用幹線道路がつくられ、従来の道路を寸断し、どこにも行けないものに変え
てしまう。たいていのパレスチナ人にとって、検問所の存在や複雑で面倒な身元確認の
手続きは、旅行の可能性はもちろんのこと、彼らに遺された領土のなかを移動する計画
でさえ大幅に減少させる理由となる。多くの者は、半径二十キロを越えて移動すること
ができない。・・・
 恐怖も、諦観も、敗北感もない絶望が、ここでは世界に対するひとつの姿勢を生んで
いる。これまで見たことこともないようなものだ。」
 この「世界に対するひとつの姿勢」のことを、バージャーは「屈することなき絶望の
姿勢」と名付けています。
 バージャーは「屈することなき絶望の姿勢」となる、いくつかの事例をあげています。
たとえば、そのうちの一つは、次のもの。
「西へ西へ入植地を建設し、それらにつながる道路を敷くためには、必然的に何百本も
のオリーブの樹を伐採する作業がともなった。現場で働いている男たちは、ほとんどが
失業中のパレスチナ人だった。屈することなき絶望の姿勢は、このようにはたらく。」
 屈することなき絶望の姿勢」という言葉は、なかなかうまく理解できないのでありま
すが、この言葉にはインパクトがありますね。
 この言葉に反応したのが、「みすず」8月号「ジョン・バージャー追悼」のもう一つの
文章となりです。