「みすず」8月号 4

 「みすず」8月号にあるノーマ・フィールドさんの「バージャーの『屈することな
き絶望』を読む」から抜き書きをしています。
 この文章の最後には、付記として次のようにあります。
「社会には『希望』を述べることを義務としておしつけるような暗黙の了解がある
ようだ。逆に、『絶望』を語ることは良しとされない。漠然とではあるが、こうし
た雰囲気に抵抗を感じていた。」
 どんな境遇にあっても、未来には明るいものがあるので希望を捨てないようにしよ
うというのは、世間を支配している気分でありまして、これに異を唱えるというのは、
なかなか出来ないことであります。
 しかし本当に将来に希望はあるのか、それよりも絶望に屈しないようにするほうが
必要ではないのか。少なくともパレスチナの人々や、「福島・フクシマ」に暮らす人々
にとってというのが、ノーマさんの認識です。
「いまから思えば、『屈することなき絶望』に慰めを覚えたのは、『希望』という言葉
が使われていないからだった。・・
 現実に背は向けない。その姿勢に冷たさも感傷もない。だからこそ、『希望』を語ら
ない『屈することなき絶望』に、信頼がもたらす安堵と慰めを覚えたのだ。そして、い
くらひるむことがあっても、実際に起きていることに目を向けよう、と決意のような
ものを感じるようにもなった。この地球を不動産屋にまんまと譲り渡してはならない。
どんなささやかなことしかできなくても。生涯、効果が見えないことであっても。」
 なかなか厳しいことであります。