相撲の本場所中は、どうしても13時からの中継にあわせた日課づくりになってしま
います。庭のみまわりなどは欠かすことはないのですが、本を読んだりするのがおろ
そかになっています。
そんなときにはつまみ読みできるものに手が伸びることになります。先日に入手し
た「安曇野の白い庭」であります。これは丸山健二さんが、自らの肉体を使って庭作
りをする体験的庭造り論ですが、土地の大きさもロケーションも、住宅地の猫の額ほ
どの庭いじりとは次元が違います。
「ここ二、三十年のあいだに筋肉がさほど衰えなかったのは、ひとえに庭仕事を全て
自分独りの力でなんとかしてきたからだ。そして、ガーデニングとは本来こういう
ものなのだと自負を持つに至っている。力仕事はプロに任せ、あとはけばけばしい花
をいっぱい買い集めて庭中を埋め尽くすのは、所詮、青春の名残を追い求めて必死に
あがくオバチャン・ガーデニングでしかない。あるいは、懐手をして縁側に腰をおろ
し、ペンより重いものを持ったことがないとうそぶきながら、金にあかして職人たち
に造ってもらった型通りの庭を眺める、文士型ガーデニングだ。・・・
私が心から見たいと願うのは、主の精神が隅々まで反映されている庭でしかない。」
当方がやっているのは「オバチャン・ガーデニング」の補助者でしかありませぬが、
それでも草取りや苗の植え付けから学ぶところが多いことです。
まるでレベルは違うのではあるのですが、丸山さんの次のくだりなど、ほんとそうで
あるなと思うことです。
「直情径行型の性格が植物を相手にする限りわずかに改まりつつあった。つまり、いつ
しか知らず、待つということを体得していた。時間をかけることの重大さに遅ればせな
がら気づいたのだろう。もしくは、単にそういう歳になっただけなのかもしれない。」
当方は直情径行型の性格であるとは思いませんが、植物を相手にしていますと、今年
はだめでも来年があるさということはよくあります。今年移植したので、今年は花が
望めないが、来年にはというようなことですが、来年であれば上出来で、花ではなくて
実を楽しむとなれば、「桃栗三年、柿八年」といわれるように、何年も待たなくては
いけません。
当方が昨年に挿し木をした苗は、実をつけるまでに5年ほどかかると聞かされました。
5年ごといえば、当方は70代になっているのですが、こちらの興味がそれまで続くので
ありましょうか。