本日はタイヤ交換へ

 今年の北海道は例年よりもずっと雪となるのが早いようです。すでにさらに北の
ほうではこのまま根雪となってしまうのではないかといわれています。
 海に面した当方の地域は、先日に降った雪もすっかりとけてしまっているのです
が、北のほうの状況を眼にしますと、冬用のタイヤへの交換を急がなくてはという
気分になります。
 当方の行きつけの車屋さんは、片道15キロほど離れた国道沿いにありますが、つい
先月くらいまでは大きな「FORD」のロゴを記した看板が屋上にあがっていました。
これまでは、それが建物の目印となったのですが、看板が下ろされたいまは、うっか
りすると通りすぎてしまいそうです。
 外国車という言葉から米国産の自動車を思い浮かべる人は、いまはどのくらいいる
でしょうか。当方は一時期「FORD」のヘッドマークをつけた車に乗っていたことが
あり、「FORD」には愛着があるのですが、この車の原産国はスペインでした。
 この車屋さんは、80年も昔(昭和12年)に「FORD」の販売代理店となった老舗で
ありまして、当方が子どもの頃に、祖母の家に遊びに行きましたら、近所にその車屋
さんの本社があり、その屋上には大きな「FORD」の看板があって、子どもながらも
「FORD」すごいと思ったものです。
 父上が銀座でハイヤー会社をやっていた小沢信男さんが「芸術新聞社」ホームペー
ジに連載していたものに「私のつづり方」というのがありますが、そのなかに、次の
ようなくだりがありました。昭和10年頃の話となります。
「 営業用の車は、おおかたアメリカ製中古車でした。まずはフォードが定番だが。
わが家では、ダッジビュイック、テレプレーンなどでした。流線型が流行るとなれ
ば、借金しても買い換えねばならない。
 あるとき、格安の中古良品が神戸に出たと聞き、父はそれを落札した。運転手一名
をひきつれて汽車で神戸へゆき、交代で運転しながら帰ってきた。たいへんな苦労だ
なぁと、子ども心にも忘れないが。
 いまにしておもえば父は、あの時代に、流線型のビュイックかなにかで、東海道
ドライブ旅行をやってのけた。楽しい苦労。どこか道楽っ気のある稼業だったのか。」
 「まずはフォードが定番」という時代がありまして、ほぼその頃、北海道にも
「FORD」の看板があがりました。そして今、日本ではFORDの車に新車販売が終わりを
つげようとしています。
 かっての米国の花形産業の凋落を象徴するような話でありますが、これも今回の
米国の選挙の底にあるものでしょうか。