日本語のために 4

 池澤夏樹さんの「日本語のために」は、なるほどそういうことなのかという思う
ところがあちこちにありです。昨日の祝詞もそうですが、耳にしたり、目にしたり
することはあっても、そのままやりすごしてしまうものを、あらためてじっくりと
良質の日本語で読むことができます。
 この本では「般若心経」が取り上げられているのですが、これまではまったく意味
を知っておりませんでした。
 池澤さんの解説には、次のようにあります。
「経文の多くは元梵語サンスクリット)やパーリ語などインドの言葉で、それを
我々は漢訳を通じて学んだ。最初のころは国家仏教であるから個人の魂の救済には関わ
らない。鎮護国家のためが儀式が中心だったから経文も漢訳のままで(それも唐音で
はなくもっぱら呉音で)読誦された。
 この方針は長く続いて『般若心経』は今でも漢訳のまま読まれる。写経する場合も
三百字たらず、仮名を加えて読み下しにはせず漢字にルビの形で書かれる。その真意
を知るために徹底的に口語化した伊藤比呂美の現代訳を読んでほしい。ここでは最も
抽象的なものが最も具体的な言葉で語られる。」
 このようなことで、このあとに伊藤比呂美さんによる現代訳が続くのですが、これ
がほんとすごいと思いました。般若心経にインスパイアされた伊藤さんの詩作品の
ようにも思いました。伊藤さんという人は、こういう作品を書く人でしたか。
 この伊藤さん訳「般若心経」は、ぜひとも立ち読みをしてもらいたいものです。
ありがたい教えが、わかりやすく、深い日本語となっていてあたまにすーっとはいって
きます。
 この伊藤訳の冒頭のところにある六行だけ引用です。
「 わたしが いる。もろもろの ものが ある。 
  それを 感じ
  それを みとめ 
  それについて 考え
  そして みきわめることで
  わたしたちは わたしたちなので ある。 」