日本語のために 3

 池澤夏樹さんが編集した「日本語のために」の冒頭におかれているのは、「祝詞
です。のりとと打ち込んで変換をかけても一発で「祝詞」とはでてきませんが、のり
とといえば、神前で神主さんがとなえるものでしょうと思っていましたが、ここに
は、「六月晦大祓(みなづきのつごもりのおおはらへ)」という祝詞が、池澤さんの
訳で掲載されています。
 人間たちのおかした罪を祓って清めておくれというのが、この祝詞でありますが、
この場合の罪とは何かであります。これは注に説明がありました。
「社会的な禁止事項を犯す行為、ないし共同体の秩序を乱す行為で、社会にとっては
穢れとなる。以下の羅列される罪に殺人や傷害がないのはそれが私的な範囲に留まっ
て穢れではないからだろう。
 注目、人間の行為だけでなく自然災害も罪である。」
 祝詞のなかで列挙される罪でありますが、池澤訳に従うと、次のようになります。
「 天に逆らう罪として、畦放ち、溝埋め、樋放ち、頻蒔き、串刺し、生き剥ぎ、
 逆剥ぎ、尿戸、
  これらの罪と分けて、国に逆らう罪として、生き膚断ち、死膚断ち、白人、こくみ
 おのが母犯せる罪、おのが子犯せる罪、母と子と犯せる罪、子と母と犯せる罪、
 畜犯せる罪、昆う虫の災、高つ神の災、高つ鳥の災、畜仆し、虫物する罪、
 などなどの罪が犯された。」
 古代の日本人は、以上のようなことを罪として認識していたのでありましょう。それ
神道が国の中心におかれていた時代においては、支配的な倫理であったのかもしれま
せん。
 それがためでしょうか、わざわざ注では、「母と子と犯せる罪、子と母と犯せる罪、
 畜犯せる罪」に対しては、「今ならば、これは犯罪ではない」と記されています。
それにしても、大祓において、こうした文言をいれなくてはいけない現実が、その昔
にはあったということですね。