皇后考

 なんとか原武史さんの「皇后考」、最後までたどりつくことができました。

皇后考

皇后考

 先日も記しましたが、天皇制についてさえもわかっていないのですから、どうして
原さんが「皇后考」を書こうということになったのかは、まるでわかっておりません
でした。
 この本の扉には、折口信夫の次の言葉が掲げられています。
神功皇后の昔には、まだ中天皇に類した名称は出来なかったものであろうと思われ
る。そうして、実際は、中つ天皇として、威力を発揮遊ばしたのだということが出来
る。皇后とは中つ天皇であり、中つ天皇は皇后であることが、まずひと口には申して
よいと思うのである。」
 折口信夫のこれを読んでも、なんのことかわかりませんですね。
「中天皇」には「なかつすめらみこと」とふりがながついているのですが、これで
検索をかけても、意味がつながりません。この折口がいうところの「なかつすめら
みこと」とは、國學院のページには、次のようにありました。
「折口は神と天皇の間を仲介し「中語」する者として中天皇(なかつすめらみこと)
を、天皇と人間の間に立つ者として中つ臣らを置き、「みこともち」にも広くはその
ような「中語」の役目も見ている。」
 扉に、折口の言葉が掲げられているというのは、この「皇后とは中つ天皇」という
のが、この本の通奏低音となります。
 序章にある原さんの文章から引用です。
「いみじくも天皇制という用語それ自体が暗示しているように、明治、大正、昭和の
三代の天皇にさえ注目すれば近代天皇制はおのずと明らかになるので、皇后は天皇
比べれば二次的な存在にすぎないという前提そのものは、依然として揺らいでいない
ように思われる。
 だがそもそも皇后というのは、天皇の後ろに控えるだけの存在なのか。言い換えれ
ば、天皇の『添え物』にすぎないのか。・・・
 血統でアマテラスや神武以来の各天皇とつながっている天皇とは異なり、皇后は
努力を重ねて神功皇后光明皇后のような過去の偉大な皇后と一体になろうとする。
さらには女性神であるアマテラスに自らを重ね合わせようとする。天皇の『添え物』
どころか、天皇よりもいっそう神に近づこうとするのである。」
 「天皇よりもいっそう神に近づこうとする」というところが、折口の「中つ天皇
につながるのですね。