借りている本

 今月にはいって借りた本は、ボリュームがあるせいもありまして、いまだに読了
にいたらずであります。借り出し期間の延長をかけて、ここにいたっています。

木村蒹葭堂のサロン

木村蒹葭堂のサロン

 二段組みで700ページでありますが、それよりもなじみのうすい世界についての
話が延々と続きますので、ここを乗り越えるのがたいへんです。なんとか最初の
難関はとおり過ごしたかなと思っていますが、読み始めて200ページくらい進んだ
ところで、中村真一郎さんは、次のように書いています。
「私たちにとっては途方もない疎遠な文章を嬉しがって読んでいた明和頃の知識
人と、現代の私とは、その基礎的教養の方向が全く異なってしまったことは驚く
べきである。
 にも拘わらず、こうした竹山と世粛との心の通い合いは、心に沁みるように通じ
るものがある。
 とにかく、この『兼葭堂記』につき合ってくれた読者諸君はお疲れ様。」
 これから何ページかあとにあるくだりです。
「西洋十八世紀の文化人は、プラトンやホラチウスを共通の教養として所有してい
た。そして、コンピュータとワープロの時代となっても、その教養の痕跡は消滅し
ていない。
 しかし二十世紀の日本の知識人は、中国古典学の教養を共通の精神的結び付きとし
ていた十八世紀人に対して、彼らの全く知らなかったシェイクスピアやカント、トル
ストイやボードレールを、その連係の地盤に求めているのである。
 ひとつの民族において、わずか二世紀のあいだに、このように劇的な精神的伝統の
変化が行われたことは、歴史上、稀な例外ではなかろうか。」
 中村さんは、「歴史上、稀な例外ではないか」と書いているわけですが、もちろん
今の時代のほとんどの人にとっては、「それが?」という話でありましょう。