堀江さんとギベール 2

 堀江敏幸さんが翻訳したエルヴェ・ギベール「赤い帽子の男」は、はじめに思った
よりもずっと面白く読むことができました。

赤い帽子の男

赤い帽子の男

 最初のうちは、なかなかペースがつかめずで足踏みが続いていたのですが、これも
作者の仕掛けのうちであったようです。この翻訳の巻末には堀江さんによる翻訳ノー
トがついているのですが、それのタイトルは「『赤い帽子の男』をめぐる断章」と
なっています。この「断章」は、その後書き改められて、「子午線を求めて」に収録
されることになりました。
子午線を求めて (講談社文庫)

子午線を求めて (講談社文庫)

 「子午線を求めて」においては、「下降する命の予感」というタイトルになってい
ます。「子午線を求めて」(元版)には、初出一覧が掲載されていて、これをみまし
たら、この「下降する命の予感」は、「『赤い帽子の男』をめぐる断章」を中心とし
て、ほかに書かれた文章を加えたとありました。
 いまほど「翻訳ノート」と「下降する命の予感」を見比べてみましたら、ノートの
分量の倍ほどに増えていることがわかりました。「仰向けの言葉」に収録の文章に
つながるくだりは、書き加えられたところにあるのですが、それはまたあとで話題に
しましょう。
 「赤い帽子の男」の主人公には、ほぼ作者が投影されていますので、この主人公は
HIVに罹患しているというのは、いわずもがなのことになります。とはいってもHIV
ことが必要以上に前面にしゃしゃりでてくることはありません。
HIVのことがもっと前にでてくれば、それへの怖い物みたさで話にはいっていきやす
かったかもしれません。
 小説の序盤は、とくに後半への周到な伏線や美術業界の話などが語られていて、
ここのところは読み飛ばしたくなることです。作中人物の人間関係がうまく頭に
はいっていなくて、それが読みにくくしていたこともありです。
 足踏みをしていた序盤で、当方がにやりとしたのは、次のところでありました。
「イギリスの小説家ブルース・チャトウィンは、ウィルスで死ぬ前の数か月と数週
間のあいだ、一枚ずとちがう絵を、毎日のようにロンドンの古物商のもとへ持ち込
んでいたという。支払いも済んでおらず、アパルトマンのどこに掛けたらいいのか
もわからずに、他のいろんな絵と一緒に床に積み上げてあったものだ。彼が死んだ
とき、妻は画商たちに、絵を返してくれるよう説得を試みた。」
 ブルース・チャトウィンは1940年生まれですから、ギベールよりも15歳年長で、
ともにHIVで亡くなることになりました。HIVで亡くなった有名人というと、よく
名前のあがるお二人ですが、ギベールさんもチャトウィンさんのことを意識して
いたのでしょう。