海を渡った芸人 3

 大島幹雄さんをサーカス研究に導いたのが伝説の編集者 久保覚さんであるという
のに驚いたのが昨日の話題です。
 大島さんが、そのように記しているのは久保覚さんの遺稿・追悼集が刊行されたの
にあわせてでありました。これがでたのは亡くなって二年ほどたった2000年のことで
したが、一般にでまわることがなく、坪内祐三さんの「雑読系」で眼にして追悼集の
ことを知り、入手できたのは2005年のことでした。ほとんど書棚のこやしとなってい
る本でありますが、こういうタイミングで手にすることになりますか。
( 最近で、久保覚さんについて眼にしたのは、「運動族 花田清輝」(2014 福岡
市文学館企画展資料集の一ページが久保さんにさかれているのを見たときです。)
 この遺稿集には、かって久保覚さんが編集した「別冊新評 全特集サーカスの世界」
に久保さんが寄稿した「ある動物使いの肖像」と「百戯の道」というサーカスについ
ての文章が収録されています。
 久保さんの「ある動物使いの肖像」の書き出しを引用であります。
トーマス・マンコクトー、それにラディゲ、ジュネ、ヘンリー・ミラー、あるい
はシクロフスキーなど、外国では多くの一流文学者たちによって、サーカスをめぐる
すぐれた作品や魅力的な文章がたくさん書かれている。だが、まったく逆に、日本の
文学者となると、残念ながらサーカスに関するまともな文章はほとんどみあたらない
といっていい。たぶんサーカスなんて『低級な芸術』だと思っていたのだろう。
しかし、ほとんどの日本の文学者がサーカスに正当な関心をすこしもはらわなかった
なかで、エッセイ集『冒険と計算』(講談社刊)に入っている武田泰淳の『サアカス
の演出』は、短文ながら日本の作家としてはサーカス芸術というものの本質をちゃん
と捉えたじつに珍しい文章だといえるだろう。」
 サーカス芸術に正当な関心を生み出すために啓発運動をしていこうということで、
雑誌で特集を組むわけですが、そうした運動のメンバーとして大島幹雄さんに声が
かかったということになります。
 最初は、大島さんの得意なロシアアヴァンギャルドとつながる道化師のことからで
ありました。