旅のとも 5

 柳田国男さんの「常民」に対し、小山勝清さんは「野卑、野蛮と見られる山の民」
へのシンパシーであります。農村社会からはみだした存在であるマタギやさんかのほう
が身近ということでしょう。常民に対して非定住、ノマドから定住社会を見るとどう
うつるのかであります。
 ここにきて、山口昌男さんの出番となります。山口昌男さんの解説から引用です。
「平地の稲作を中心とする『常民』を民俗文化の中核に据えたうえで日本の文化史を
再構成しようとする柳田学が、山から出てきて帰るところは山であるという強い確信
を抱いて帰郷した小山には、なじめない体系であったことを描く高田氏の記述は、
日本の民俗学が今日抱えている課題を鋭くえぐっていて、読む者の心を撃つ。」
 このあと、山口さんは宮沢賢治と小山勝清の比較を試みることになります。
「賢治は岩手の自然の中に埋れて、宇宙の彼方に想を馳せつつ、広大な詩的宇宙を
再構築した。なめとこ山の山人である猟師熊五郎の世界は、賢治の理想境の一つで
あった。勝清も、阿蘇の晴山に人と人とが疎外し合わずに生きていることが出来る
共同社会(コミューン)を見たと思った。日本の近代文学が平地と農村の世界に限定
して人の世を語る傾向が強いわりには、この世界を相対化する手懸りを書いていたこと
を想い合わせるならば、山へのこだわりは我々が考えるよりもっと大きな課題を我々の
前に提示すると言える。
 この平地と山の民の重層性に見られるように、日本文化はホモジェニアスではない、
というのが作者高田氏の熱き想いでもあるのだ。」
 日本文化の多様性であります。江戸時代以来、米の石高で経済を図るというような
ことになっていますが、もちろん漁獲高とか毛皮などの生産によって経済を支えて
いた人々もいるのでありました。
 今回の旅は、北海道北端の島巡りでありましたが、この島には水田はないのであり
ました。