旅のとも 4

 高田宏さんの「われ山に帰る」からであります。
 取り上げられている小山勝清さんが、柳田国男に対して抱く「疑問と不快」につい
てです。
 不快というのは、高田さんによると、次のようになります。
「子供には、人並とは言わなくとも正月らしい気持ちは味わわせてやりたかった。
 万策つきた勝清は柳田国男に借金に行った。着物は質に入れてしまったのでドテラ
 姿だった。その場には岡正雄もいたのだが、勝清はかまわず、というか蛮勇で、
借金を申し込んだ。柳田国男は一言も口にしなかった。ドテラ姿が不愉快だという顔
色であった。柳田が沈黙したままのその場の空気に、岡が勝清を気の毒がった。」
 柳田のところに弟子入りをしたとはいうものの小山勝清さんは、それまでの生活を
改めるわけではないので、子供には金がかかるようになる、収入は少ない、酒は飲む
ということで、家計は火の車であったのでしょう。柳田とすれば、もうすこしきちん
とした生活をするようにと言いたいところですが、金策にきてもあの格好では恵んで
くれというようなものと言葉を失ったのでしょうか。
 勝清さんとすれば、ただでも敷居の高い柳田のところへときて、すこしは同情して
くれてもいいのにという気持ちでありましょう。
 それにもって柳田と自分の「山の世界」に対する考えに違いがあることが意識され
るようになってきたのです。
「柳田の山の民への関心はむしろ好奇心にもとづいていた。好奇心がわるいわけは
ない。しかし柳田の関心は日を追って平地民へ向かっていくようだった。日本のなか
多数である平地農民、多数の百姓たち、いちばん普通の人びと、つまり柳田学の中心
概念となる『常民』への関心を優先させていることが、話のはしばしにうかがえた。」
 柳田は「都市の延長線上にある田園の民」を研究対象としようとしているのだが、
勝清さんは「田園の民」から「野卑、野蛮と見られる山の民」へのシンパシーがあり、
そうした農村社会からはみだした存在を中心に据えた社会を思い描いていたという
ことになります。
 まさに小山勝清さんは、山のユートピアンであります。