7月はバラの月 2

 カタカナでバラと表記しますと、現実の植物のことをいうようであります。

 これは、いま庭で咲いている花となります。
 これが漢字で「薔薇」と表記した瞬間に、今咲いているバラではなく、この世の
植物とは思えなくなります。これはそう思わせない力が働くからでありましょう。
 蓮ときくとあの世を連想するがごとしです。
 そうした著作の代表としては、中井英夫さんの「薔薇幻視」があります。

 もっぱら現実のバラに、違ったものを見ようとするのが中井流です。
この「薔薇幻視」の前書きには、次のようにありです。
「地上の薔薇はいかにも美しいが、世の薔薇作り薔薇愛好家がもっぱらその外側に
だけ心を奪われて、内部の、もうひとつの薔薇の美を探ろうとしないのが私には
不満であった。かって桜の樹の下には屍体が埋まっていたように、薔薇の内部には
なおいっそう神秘な何ものかが、ひそんでいはしないか。『薔薇幻視』は、いわば
新しい旅への誘いである。」
 拙ブログで「薔薇」という文字を検索してみましたところ、次のようなところで
でていました。
幻想薔薇都市

幻想薔薇都市

薔薇の名前〈上〉

薔薇の名前〈上〉

血と薔薇コレクション 1 (河出文庫)

血と薔薇コレクション 1 (河出文庫)

 このほかでは「薔薇十字社」とか、少年Aが使った署名にも「薔薇」がはいって
いました。
 どれもバラの内部の「神秘な何ものか」に着目をしたもののように思えます。
この場合のバラというのは、花びらが一重ではなく、内部が見えないもののよう
です。