目下旧聞篇 2

 平野甲賀さんの「きょうかたるきのうのこと」のタイトルをいただいた長谷川四郎
さんの小説集「目下旧聞篇」についてであります。
 この小説については、昨日に引用したところで平野甲賀さんは「奇妙な著書」と
いっていますが、不思議な小説集です。もともと、長谷川四郎さんは小説を書くに
あたって、読者へサービスということをする人ではありませんので、読みやすくと
か、読んで楽しく、ためになるなんてことを四郎さんの作品に期待してはいけない
のです。長谷川兄弟の長兄である海太郎さんは、三つの筆名を使い分けて沢山の
作品を残し、早くになくなったのですが、このお兄さんと気質が異なるということ
もあって、こうした生き方を、自分はしないとなったようです。  
 このような奇妙な作品集が生まれた背景については、全集第8巻についている解説
を参考とするのが一番です。
「『目下旧聞篇』が六つの独立した短編を収めた作品集である。六篇にはどれも表題
がなく、1、2、・・6で示されている。いずれも、もとは、それぞれ異る時期に雑誌
に発表された。初出誌と表題は次のようであった。・・・これらを著者は、はじめから
こういうかたちにまとめる意図をもってかいたのであろうか。どうもそうではなかった
ようである。一作一作と書いてゆくうちに、いつしかそれらが一冊分の分量に達して、
おのずから一冊にまとまったという趣きである。」
 収録されている六篇の作品は1957年から62年にかけて「群像」に発表されたものです
が、もとはもとは発表時に表題がつけられていたものが、単行本となるときに、表題を
消してしまって、整理番号のようなもので整理されてしまうというのが、四郎流であり
ます。
 もうひとつ長谷川四郎さんらしい話、これは全集第8巻「作者のノート」からの引用
となります。
「ある日、私は森本哲郎さんの訪問をうけた。『目下旧聞篇』(未来社)が出たばかり
で、そのころ森本さんは『朝日新聞』につとめていて、その訪問目的は『目下旧聞篇』
を新聞読書欄に紹介するためだった。紹介記事が新聞に出て、私はありがたかったが、
いささか気まずいような、また助かったような思いもした。私は森本さんに 目下旧聞
というのは、中国の古い本からとった題なんです、とかなんとかしゃべったが、そんな
本はなかったからである。私の思いちがいで、知ったかぶりだった。」
 この「思いちがい」のところは、新聞には取り上げられなかったとのことですが、
どうして思いちがいをしたかということについて、それに似た書名の本があって、
それと読み違えていたということが、あとになってわかります。その本に「日下旧聞」
というのだそうです。どのみち、たいした違いはないと四郎さんは、記しています。