昨日に引用した種村季弘さんの「松山俊太郎さん」についての銭腹巻伝説であります
が、当方などは石堂さんとか、種村さんのこのようなカリカチュアライズされた文章に
よって、おもしろおかしく松山さんをイメージしているようです。
専門の学問分野でかかわっている人たちには、そんな先生ではないですよといわれそ
うであります。
松山俊太郎さんの著作「綺想礼讃」の栞にある吉村明彦さんの文章で紹介されている
本から芋づる式に、勝手に追悼であります。
吉村さんがあげている本のもう一冊は、次のものです。
- 作者: 加藤郁乎
- 出版社/メーカー: 学習研究社
- 発売日: 2001/10
- メディア: 文庫
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増補がついてのお徳用です。
松山俊太郎さんに関しては、元版の時から収録されています。この文章の初出は「現代
詩手帖」昭和50年6月号だそうです。
加藤郁乎さんによる「松山俊太郎」さんの肖像の書き出しは、松山さんの文章の引用
からとなります。
「わたくしが『悪の華』初版・再版を所蔵するのは、九分通り偶然の結果である。
またわたくしは一介のサンスクリット愛好者にすぎず、『悪の華』について独特な見識
も持ち合わせなければ、これに触発されて生じた業績も存しない。つまり、『悪の華』を
『わが一本』としてあげつらふべき、『人』と『物』の結びつきが無意義なのである。
とは言ふものの、編輯子の意図を忖度すれば、わたくしがここで開き直るのは、一種の
思ひ上りでもある。問題は、『ある珍本を意外な人物が如何にして手にいれたか』で
あらう。かく考へれば、わたくしといふ窮惜大が、少くとも日本においては稀覯と目され
る『悪の華』を所有し得たこと自体が(いはゆる『書痴』連にとっては)一話柄となるか
も知れない。」
以上は、加藤郁乎さんが引用しているものですが、松山さんの文章は題が「『悪の華』
初版・再版」として「本の手帖」誌 昭和三十七年五月号に掲載のものだそうです。
この文章を全部読んでみたいと思うのですが、残念なことに、これは「綺想礼讃」には
収録されていません。