吉野葛 2

 谷崎潤一郎の「吉野葛」が収録されていたアンソロジーは、平凡社の「伝統と文学」
ではありませんでした。あれは批評ばかりをあつめていたのでありました。
 そのアンソロジーは「現代日本文学の発見」学芸書林刊でありました。最近はあまり
目にする機会もないかもしれませんので、箱の掲げてみることにしましょう。
( いつもこの「現代日本文学の発見」を話題にする時には、これは良いシリーズです
と記する事にしているのですが、まだ古書では安価で入手可能。二段組みですから眼が
良くて、辛抱強い人向きではあります。)

 この本の装丁は粟津潔さんであります。外箱にはこれに収録している作品名が列記さ
れています。最初に青い文字で谷崎潤一郎吉野葛」とありますが、この本では巻頭に
おかれています。
 「吉野葛」を最初に読んだのは、この本であるはずですが、もちろんちんぷんであり
ました。それから数年して、花田清輝の「吉野葛・注」を読んだのであります。
この「吉野葛・注」は、後藤明生さんの「吉野太夫」でも冒頭部分が引用されています。
 これを引用すると、ついつい長くなりそうなのですが、まずはほんとうにさわりの
ところを。
「たぶん、谷崎潤一郎は、偉大な小説家なのであろう。わたしもまた、かれの才能を
みとめないわけではない。なによりわたしは、かれが、誰よりも多く、未完のまま途中
でほうりだしてしまった小説や、とにかくまがりなりにも完結しているとはいえ、とり
かかったさいに考えていたものとは、およそ似ても似つかない小説を つまり、ひとくち
にいえば、失敗作を、つぎつぎに発表していった大胆さに感心している。たとえばかれの
傑作の一つにかぞえられる『吉野葛』という小説にしても、南朝の子孫である自天王と
いう人物を主人公にした歴史小説をかくつもりで、いろいろと文献をあさったあげく、
実地踏査のために吉野川をさかのぼり、わざわざ、主人公の住んでいた大台ケ原山の
山奥まででかけていった作者が、流域の風物をながめながら、回想にふけっているうち
に、いつのまにか、かんじんの自天王の話のほうはあきらめてしまい、その地方の出身
者である、友だちの死んだ母親の話に熱中しはじめる、といったようなていたらくであ
る。とすると、この小説もまた、失敗作 とまではいいきれないにしても、当の作者の
言葉を信ずるなら、すくなくともこと志に反してできあがった小説にちいがいない。」
 上に引用した花田清輝の文章は、ちょうど後藤さんが「吉野大夫」第四章で引用して
いるところであります。