「友の会」つながり 7

 先月に手にした「本の雑誌」の津野海太郎さんが「友の会」と記しているのを見て、
それをきっかけに「雑誌の読者が『同志』だった時代」という、まさに津野さんが
羽仁もと子さんが創設した「友の会」に論じている文章にあたりました。これが掲載
の「読書欲・編集欲」はでたときに求めたはずですが、ほんといままで積ん読状態で
あったのでしょう。
 津野さんのお母様が熱心に取り組んでいた「友の会」というものと、その創始者
あった羽仁もと子さんについての論考であります。
「私の母は1949(昭和24)年に『友の会』に入会した。戦争が終わって四年目。長男の
私は小学4年になったばかり。毎晩、子どもたちが寝るころになると、おもむろに卓袱台
にむかって家計簿をひらく彼女のすがたが記憶に残っている。・・・・
 この時期、私の一家にかぎらず、日本中の、ほとんどすべての課程が戦後のきびしい
窮乏生活を強いられていた。そんななかで、まだ三十代になったばかりの女性が内職に
追われながら三人のこどもを育てていかねばならない。いったいどうすればいいのか。
そのせっぱ詰まった悩みの結論が、母の場合でいえば『友の会』への参加になり、この
家計簿になった。つまり羽仁もと子の運動には、日本がまだ貧しかった時代に、私の母
のような人びとを、その実効性によってはげます力がたしかにあったのである。」
 「友の会」というと、家事家計でありまして「家計簿」をつけるというのは、会の活
動の基本であったのでしょうが、家人が参加していた頃には、「家計簿」は購入する
ものの、ほとんど三日坊主に終わるという会員さんも多かったようであります。
 津野さんのお母様のエピソードを見て、思いおこすのは、当方の母でありまして、
たぶん年齢は十歳ほど下となるのでしょうが、高度成長前は三人の子どもを抱えた田舎
の給料取りの生活は大変でありましたので、やはり家計簿をつけていたようであります。
 当方の母の場合は、婦人之友社の家計簿ではなく、『主婦の友」とか「婦人倶楽部」
という普通の月刊誌が付録としていた家計簿でありました。そういえば、こうした
家計簿を付録としていた主婦むけの雑誌は、きれいにこの世から姿を消してしまった
ことであります。