「友の会」つながり 5

 津野海太郎さんは、「淀川長治自伝」から淀川さんが「友の会」を思いついたくだり
を紹介しています。
 淀川さんが編集長をつとめる「映画の友」の読者に会いたくなったことがきっかけで
す。神戸にお住まいで、淀川さんが自分の師とも仰いだ方のご自宅を訪れたときのことで
あります。
「森本氏の婦人が数人の夫人仲間と集まって、スリッパやクッションやざぶとんの手製品
を持ち寄ってこれをバザーにかけその売り上げを何かに寄付する集まりを森本氏宅で見
て、あれはどういう集まりなのですかと聞いてみたところ、あれは『婦人之友』という
雑誌の読者が集まっての月一回の会合なんですよと知らされた。そのとき、私は神戸の
町の『婦人之友』の読者が集まるというそのたのしさを目でみて、ひどく感心した。
 そして今、私はこれを『映画の友」の読者でやってみたくなった。・・・
 そしえここに昭和23年十月三十日、上野新制高校の教室をかりて『友の会』をこころ
み、その日、雨天にもかかわらず百人あまりが集まり、・・・今も月に一回とはいえ、
三十五年間、今も続いているのである。」
 このくだりを読んでの津野さんの感想です。
「しかしそれにしてもびっくりした。あの『映画の友』の『友の会』が、『婦人之友』の
『友の会』のまねだったとはなあ。『友の会』という一本の赤い糸が、一見まるで関係な
いようにおもえる羽仁もと子淀川長治、きまじめな生活雑誌と遊び好きの陽気なファン
雑誌とをひそかにつないでいる。
 『映画の友』の『友の会』には入りそこなったが、『婦人の友』の『友の会』のほう
なら私もよく知っている。母がこの雑誌の熱心な読者で、同じに『友の会』の熱心な会員
でもあったからだ。」