長年居住する人間 2

 60年を超えてひとっところに住んでいるというのは、それこそ限界集落なんてところ
にお住まいの人は、百年単位でそこで生活をしている家族でありますので、そこでは、
なんも珍しい存在ではないよということになるのでしょう。
 ところが都市部というのは、もともと多くの人が移り住んできたことによって大きく
なったわけでありますので、新しく移り住んだ人で戦争前から同じ場所に住むという
のは少なくなっているかもしれませんですね。戦前からの市街地は、東京であれば、
オフィス街などになってしまって人が住むには適しなくなっていますしね。
 昨日に引用した寺田透さんの文章の一部を再度引用します。
「半世紀にわたる動揺と破綻と混乱にもかかわらず、われわれがここにこうしている
以上なにかひとつづきに続いているもののあったことを、歴史の連続を、われわれの
うちによみがえらせるように為向けられるからだ」
「半世紀にわたる動揺と破綻と混乱」というのは、戦争と被災、そして戦後復興という
ことになるのでしょうか。こうした時代を背景として「定点観測」するかのように一つ
の場所で生きていると、「歴史の連続」がよみがえってくるかです。
 昨日から話題にしているのは、寺田透さんの「過去の幻」という文章であります。
「この五十年、いろいろと移り変わりはあったが、それは表面上のことで、その下に
隠れたずっと前からつづいて来ているものを、井伏さんは釣り出すのだと考えるべき
なのかもしれない。」
 寺田さんは、横浜市で生まれ、旧制高校時代(これは寮生活)と戦時中と戦後の
一時期をのぞくとずっと横浜で暮らしています。
年譜(これは田邊園子さんが作成したもの)には、「1949年9月に横浜市磯子区磯子
町浜に転居定住」とあります。なくなるまで、この地でくらしたとのことです。
 当方は60歳をすこし過ぎたところでありまして、生まれてからあちこちでくらして
ひとっところに長年居住とはなっておりません。当方が暮らし住宅のほとんどは、
いまでは姿を消してしまっているのですが、かって祖母が住んでいた家だけは、
現在に残っていて、場違いな感じで存在しています。

 道路に面して間口1間とすこし、うなぎの寝床のように奥行きがありました。
正面に引き戸が二面ついていますが、この建物は中で仕切られていまして、
これで二軒の長屋となります。戦後まもなくの建物のようでありますので、資材不足
の時代に建てられたものですが、よくぞ、いままで残っているものであります。