あと一週間

 今年も残すところ一週間で、やらなくてはいけないこと多く、気分がのらないと
いっているうちに大晦日をむかえるのでありましょうか。
 本日は日曜日で、読売、朝日などが読書欄で、書評委員のおすすめ三点を特集して
いました。これらはほとんど立ち読みに終わっておりまして、どなたが何をあげて
いたかは頭に残っておりません。
 どの新聞にも梯久美子さんの「狂うひと」を上げている人がいまして、つい先月に
刊行されたものですが、今年一番の話題作となっているようです。
そういえば、年内の読了をめざして数日前から手にしているのですが、このところ
足踏み状態が続いています。年末の仕事をしなくてはいけないというときに、本に夢
中になって仕事をほっぽりだすというの、よくあることですが、当方の場合は、本を
読まなきゃ、大掃除もしないという怠惰日々です。
 「狂うひと」は、いまだ奄美の歴史を学んでいるところでありまして、奄美琉球
と薩摩の関係についての認識を新たにしました。そういえば、先週までTVで放送して
いた「こころ旅」は、最後の数週間は鹿児島と沖縄の島巡りをしていましたが、島を
自転車で走っている時、道のまわりはさとうきび畑ばかりという風景がうつっていま
した。もちろん、「こころ旅」では、そのさとうきび畑についてのコメントはなかっ
たのですが、「狂うひと」には、次のような記述がありました。
薩摩藩は、単一作物を大規模に栽培させて利益を得るプランテーション的な仕組み
をととのえ、植民地経営に近い体制を作り上げた。奄美の黒砂糖によって薩摩藩が得た
利益は莫大だった。薩摩が明治維新に大きな役割を果たした背景には、奄美の黒砂糖で
得た経済力があったのである。」
 「植民地経営に近い体制」というのは、奄美琉球に共通であったのでしょうね。
沖縄が戦後長く施政権が返還されなかったのは、人々の記憶に残っていますが、奄美
が1953年12月まで施政権が連合国にあったことは、ほとんど忘れ去られているかも
しれないことです。
 当方が田舎でくらしていた子どものころ、奄美から大島紬をかついで家々をまわる
行商のおばさんがいましたが、そのころは奄美ははるかに遠い国でありまして、その
おばさんはたぶんまがいものの大島紬を売りさばいていたのでありましょう。