川端賞を救え!

 本日に届いた「本の雑誌」7月号の特集は「川端賞を救え!」であります。

そういえば、川端賞がなくなるような記事を見たような気がしますので、これ

は見逃すことはできません。

本の雑誌433号2019年7月号

本の雑誌433号2019年7月号

 

  川端賞というのは、そのスタートからしてなかなかに渋い賞でありまして、

当方の好みの作家が受賞者に多くいるのであります。

どのような受賞作があるのかは、ウィキペディアを見ていただくとして、その

第一回目の受賞作が「ブロンズの首」上林暁さんに贈られているというの

が、特に嬉しいことではないですか。

 上林暁さんは、脳血管障害で寝たきりの生活のなか、妹さんによる口述

筆記で創作を続けていたのですが、ほんとうに最晩年に思いがけずに

「ブロンズの首」という短編で川端賞を受けることになったのです。

これが1974年のことでありました。

 この特集で川端賞のことを「異質で変ちくりんな文学賞なのだ」といって、

書いている川口則弘さんによりますと、「初回からいきなり選考は紛糾した」

とあります。

 それは川口さんにいわせると川端賞が「新人からベテランまで筆歴はとわ

ない。とにかく一年のうちで最も完成度の高い短編集を選ぶ」ということで

スタートしたからだそうです。

 当時は老大家が大勢いて、短編の名手と言われる人も多かったので(しか

もそうした人が選考委員にもなっていたので)、選考が紛糾したとなるのでし

た。

 あげくに受賞が上林暁さんでありますからね。こうした流れで記していたら、

当然のように「兄の左手」を開いてみることになりです。

兄の左手 (1982年)

兄の左手 (1982年)

 

 徳広睦子さんは上林暁さんの妹さんでありまして、上林さんの没後にこの

回想録が刊行となりました。その中に「いいことがやって来た」ということで

川端文学賞受賞のことが取り上げられています。

川端康成文学賞の候補になっていると聞かされたときも、期待をかけては

いなかった。それが思いもよらない受賞で、兄は大満足のていで言った。

『生きていてよかったよ。また、川端さんを尊敬しているので、どの賞をもらう

よりも嬉しい。』

 昔、『改造』の雑誌記者として、川端さんの名作『末期の眼』や『禽獣』の

原稿を取ったのを誇りにしていたので、感慨もひとしお深いものがあったの

であろう。

 受賞式当日には、兄の挨拶文を私が代読することになっていた。」

 「兄の左手」という本のタイトルとなっている文章は、徳広睦子さんが「川

端賞」受賞を期に書かれたものでありまして、それだけ川端賞というのは、

上林さんには特別なものであったのです。

 それだけになんとか、川端賞はこれからも続いてほしいものですが、

川端家を継いでいる川端香男里さん(もちろん著名な文学者)の体調不良

も、今回の休止には影響しているとのことです。

 当方の好みの作品が多く受賞している川端賞を救えということは、クラウド

ファンディングでもするのかな。一口くらいなら当方も協力するぞ。

白い屋形船・ブロンズの首 (講談社文芸文庫)

白い屋形船・ブロンズの首 (講談社文芸文庫)