今週は野暮用がそこそこ密度高いことになりまして、すこしくたびれで
週末にはいることになりました。
なにか楽しい本でも読みましょうと思いながら、youtubeでBiSHの動画
などを見て過ごすことになってしまいました。ほんと読書の敵は音楽動画
でありますね。当方が中学生の頃には、音楽を聞くといえばラジオから
流れてくるものでしたし、そのあとにレコードと移っていって、それから
カセットテープが身近な音楽媒体となったわけです。
こういう時代は耳だけで、目は文字を追うことができたのですが、いまは
動画ですから、耳と目の両方を奪われてしまうことになってしまいます。
ほんとこれではいけないこと。
本日に手にしていたのは「みすず」10月号で、それに収録の文章を読んで
いました。
カフカの日本での翻訳について書いている頭木弘樹さんの文を見ていたら、
次のようなところを目にすることになりです。
「日本で最初のカフカの単行本は、1940(昭和15)年の『審判』(本野亨一
訳 白水社)だ。
本野亨一は当時、NHKに勤めていたが、同じ京都帝国大学文学部独文化卒
で5年先輩のドイツ文学者、大山定一から『カフカという作家はおもしろそう
ですよ』と勧められ、原書も大山から借りて翻訳したそうだ。
この本はカフカの邦訳の初めての商業出版でもある。定価は1円50銭。残念
ながらあまりにも早すぎる出版で、6,7冊しか売れなかったという伝説が
あるらしい。商業としては失敗と言えるだろう。しかし、この出版が無意味
だったわけではなく、少なくとも三つの点で、大いに意義があった。
ひとつは、その6,7冊のうちの一冊を当時高校生だった安部公房が読んで
いたこと。二つ目は、太宰治がこれを読んで、影響を受けた作品を書いた
可能性があること。三つ目は、戦後になって、この本があらためて注目され、
芸術家たちの間で回覧されたこと。」
カフカの邦訳の最初は、1933(昭和8)年とのことですが、これは短編で
あって、長編で単行本になったのは『審判」だったのですね。
それよりも、本野亨一さんの訳が最初というのに驚きました。
この本野亨一さんには、学生の頃に初歩のドイツ語を教わったことがあり
ました。そんなこともあって、この名前を目にしますと、思わず反応してしま
いました。
ずいぶん前にも話題にしておりましたです。