平凡社つながり 22

 いまから50年ほど前は、いまよりもヨーロッパの流行歌を聴くことができたように思
います。当方がユーロという言葉を最初に意識したのは、「ユーロビジョン」というの
を冠にしたイベントがあったからです。それは「ユーロビジョン・ソング・コンテスト
のことでありますが、最近は日本国内では話題となりませんが、当方が中学生の頃に
は、これの優勝曲は、日本でもたいへんヒットしたものです。
 伊東ゆかりさんもこのコンテストにでたはずですが(これはサンレモですね)、
今はUSAでメジャーデビューするということは話題になりますが、ヨーロッパの音楽市
場に積極的にでていくというのは、あまり聞かなくなっています。逆にイタリアとか
フランスでのヒット曲を耳にすることも、昔ほどなくなっているようです。
 フランス・ギャルとかマージョリー・ノエル、シルビー・バルタンなんて人たちは、
中学生のアイドルでもありましたし、イタリアにも新曲が話題になるアイドルさんが
いたことです。今でいうと韓国のポップ歌手たちのようなものですが、時代はかわった
ものです。
 フランス・ギャルは、65年ユーロビジョン・ソング・コンテストにでて、「夢みる
シャンソン人形」で優勝した人であります。父親が有名人ということは承知していまし
たが、この曲は、今になっておもえばゲンズブールのものでした。
ビートルズアメリカでエド・サリバンショーに初出演したころの話であります。
この時代に洋楽を聴くというのは、ほとんどラジオの世界でありました。
 蘆原英了さんのラジオ番組は、NHK第一放送午後3時からの「午後のシャンソン」とい
うもので、いつごろまでやっていたのかわかりませんが、この番組をぼーっとしながら
聞いておりました。やわらかい口調が耳に残っているのですが、何時頃まで放送して
いたのか分かっておりません。(この番組は、そのあと永田文夫さんが担当したのでは
ないでしょうか。)
 さすがに蘆原さんは、アイドルの曲を積極的にかけることはなかったように思います
が、どんな曲を聞いたのか、ほとんど覚えておりません。