中村とうようさん追悼 10

「フォーク・ソングをあなたに」から5年後、主婦の友社から「フォークからロックへ」
という文庫サイズの単行本がでて、そこに「フォーク・ロックへの道」が収録されてい
ます。
 この「フォークからロックへ」にあります自分史のところに、とうようさんは、次の
ように書いています。
「1965年夏、当時のぼくにとっては青天のヘキレキともいうべき事件が起こった。
ボブ・ディランのロックへの転向である。
思っていることをズバリと歌に表現し、しかも歌の美しさの既成概念を大胆にも破って
しまったディランに、心から拍手を送っていたぼくは、『ミスター・タンブリンマン』
のような、わけのわからない歌をやりだしたディランに、強いショックを受けた。
後掲の『ぼくの内なるディラン』にも書いているが、65年10月号『ポップス』に書いた
『聖なる野蛮人ボブ・ディラン』という一文は、その段階では精一杯ディランに追いつ
こうとがんばったものだった。『ポップス』が出たらすぐカメちゃんこと亀淵昭信くん
が電話してきて、とても面白かったよ、と言ってくれたのはうれしかったけど、いま
読み返してみると冷汗ものなので、ここには載せない。その代り、同誌66年一月号の
別冊付録のために書いた一文と、同年11月に日本コロンビアから発売された二枚組LP
ボブ・ディラン・ストリー」の解説の序説の部分とを掲載しておきたい。」
 「ミスター・タンブリンマン」は、当方がヒットチャートで聞いた初めてのディラン
の曲であります。もちろんバーズのものです。これからまもなくして、ディランの
「ライク・ア・ローリング・ストーンズ」を聞くことになります。
当方は、まずエレキギターのディランに出会い、この「フォークロックへの道」を目に
して、ディランが「ロックへの転向」にあたり、ニューポートで大ブーイングを受けた
ことを知ったわけです。
 このニューポートで歌った「イッツ・オール・オーバー・ナウ・ベビー・ブルー」を聞
くことができたのは、それからずっと後のことでした。
 ニューポート以降、ディランは特別な存在となったようであります。そう思ったのは、
英国のグループ「ホリーズ」が、ディランのものを歌うアルバムを企画したときに、
自分たちの実力では、ディランは無理といって「ホリーズ」の人気者グラハム・ナッシュ
がグループを離れたということを聞いた時でありました。
 当方にとってディランの「アイ・シャル・ビー・リリースト」も特別な歌であります。
これはもちろんバンドが歌って有名になったものですが、当方がなじんだのは、日本の
ディランセカンドが歌った「男らしいってわかるかい」というカバー曲で、これは良く
できていると「山下達郎さん」がラジオ番組でコメントをつけていたように思います。
 それにしても、ディランの30周年記念イベントをTVでみましたが、あの時にステージ
で大ブーイングに見舞われたシンニード・オコーナーは、それこそ65年のディランと
同じではないかです。ディランのファンも保守的になったと揶揄されてもしょうがなし
でありますね。