小沢信男著作 211

 選考委員さんの選評がありましたら、当然のこと「受賞者のことば」もありです。
 小沢信男さんによることばです。
山下清は1922年の生まれで、私は五歳下になります。その生い立ちから追跡して
ゆくと、昭和の激動期をともに生きぬいた兄弟分のようにも思えてきました。
 ふしぎな魅力がすこしずつ解けてきそうで、二年半かけて無慮七〇〇枚を書き下ろし。
およそ長編を書いたことがない私なのに。筑摩書房が刊行してくださって、ようやく
本懐遂げたぞとうれしかったが、他人様に読まれてしまうのが惜しいような気も、なぜ
かそのときいたしました。
 このたび畏敬する選考委員の方々が、この長たらしい作にお目通しくださり、おめが
ねに適った由。つくづく身に沁みてありがたく存じます。やっぱり読んでいただかねば、
書いた甲斐はないわけでした。
 弱年にして詩人たろうと志して、師お仰いだのが丸山薫氏。その親しいお友達であら
れた桑原武夫氏にちなむ賞を、老境におよんでいただくとは、思いがけない首尾照応の
ような。
 奮起して、もうひと働きいたさねば。」
 この受賞発表のページには、筑摩書房による「裸の大将一代記」の広告が掲載されて
います。この広告には、著書から、次のところがひかれていました。
「日本地図の五分の一は足で歩いた脚力と、日に三度の飯をしっかりめぐんでもらった
胆力と。やがて絵を売って汽車賃をかせぎながら、南から北まで日本列島の裏表を一周
してのけた大旅行者。山下清山下清たらしめるものは、じつにこの偉業にある。」
 広告に引用されたくだりは、「裸の大将一代記」のほとんど最後となる423ページ
ちくま文庫版)にあります。