小沢信男著作 183

 「あの人と歩く東京」のテーマは、冒頭におかれた「荷風東にゆく」のなかにありで
す。
「日本の首都東京は、東から西へ重心を移して発展してきたが、彼(荷風)の生活の重心
はそれに逆行してきました。荷風東へゆく生涯でした。」
 荷風の生きた時代は、日本が高度成長を迎えるちょっと前でありますが、小沢さんに
いわせると、以下のようになります。
「江戸好みの若旦那として生まれてくれうには遅すぎたが。個人尊重のシングルライフの
実践者としては出現が早すぎたのでしょう。江戸文人の風雅を生きた最後の客は、同時に
後世のオタク族の元祖であり、巨魁なのでありました。
 人間嫌いの、きわめて孤立のこの人物が、じつは江戸から平成をむすぶ、ながいかけ橋
であるという結論になって、われながら奇妙な気がしますが。」 
 荷風が東にむかったのは、「江戸の文人の風雅のおおまじめな継承」とあります。
 それじゃ小沢さんが東に向かうのはであります。
 昨日に引用したところで、辻征夫さんのことを「小中高大が、下町と山の手の念入り
なちゃんぽんなんだ」といって、辻さんからは「あなただって、そうなんでしょ」と
切り返されます。
 日本の高度成長以降の、いわゆる勝ち組(明治維新以降のといってもいいのかも)は
東京の西へと住まいを移すというのが一般的であったようです。東から西へというのが、
日本のベクトルの向きで、西から東は流れにさおさすようなものであります。
 小沢さんは、銀座で生まれ、旧制中学は新宿の六中です。お父上が銀座から世田谷へ
と越したことにより、西へと移りすむのですが、自分で家庭を持つようになってからは、
東へと居をうつします。今は、谷中にお住まいですが、ここはかろうじて東京台地の
端です。
 小沢さんのお住まいを移す基準というのは、街壊しにあっていない戦前からの風情を
残したところであったようです。