小沢信男著作 158

 写真家 高田行庸さんの「東京下町親子二代」という写真集と、それに寄せた小沢
信男さんの文章を話題にしています。
 ここ数日にわたり松倉米吉さんに言及しているのは、この早世した歌人が今に名前が
残るのに、尽力された歌人 高田浪吉さんが、写真家 高田さんの伯父にあたる人で
あるためです。
 小沢信男さんが語る松倉米吉さんについてのことをEDI叢書から、もうすこし紹介しま
しょう。
「松倉米吉は、直面する事態になじみかねる若者のようだった。爽やかな朝には勇んで
労働にたちむかう気でも、残業にげっそり絞り尽くされる。労働は耐えがたい。
ここではないどこかへ願望。これを労働者の自覚不足の文学青年的なひよわさと断じる
のは、いかがなものか。愛を引き裂かれるのは耐えがたい。面もあげえぬ耐えがたさ。
その葛藤から歌が生まれる。自尊の痛苦のなかで、喀血する自己をも客観する。
それがすなわち近代の精神、ないしは感性ではないか。
 松倉米吉の歌というと、悲惨な面が注目されがちだが、あんがいに明るいみずみずしさ
が、むしろ基調ではなかろうか。大正期の町工場はおおかた前近代的な徒弟奉公のシス
テムでいたにせよ、それでも工場は工場だ、近代の技術で近代の需要に応えているのだ
もの、働く者に近代の息吹が生まれなくてどうしよう。
 息吹のところで断ち切られたなまなましさ。『松倉米吉歌集』は、そういう時代の生命
のありようを、短歌でつづったスリリングなドキュメントにほかならない、とわたしは
考える。」
 EDI叢書には、小沢信男さんが選した松倉米吉さんの作品が百八首掲載されています。
昨日には悲惨な喀血する自己に関するものを紹介しましたが、明るいみずみずしさが
基調ではないかと、小沢さんは指摘しています。当方は、すこし暗い一面をとりあげす
ぎているのかもしれません。
「こうして三人とも、若くして非業に倒れた。ほぼ無名のままに。一にぎりの縁者たちの
ほかには、たちまち忘れさられる運命であったろう。
 ところがどっこい、そうはならなかったことでも、三人は共通する。・・
 松倉米吉の場合は、高田浪吉だった。浪吉は本所の下駄塗装職の長男で、家業のかたわ
ら、文芸に親しみ、投稿雑誌をみて近所の松倉米吉を訪ねた。回覧同人誌に加わり、三歳
年上の米吉を終始支え、入院にも奔走し、看護し、ついに死に水をとる。以後、米吉を
世に知らしめることを使命として『松倉米吉歌集』を編む。専門歌人となってからも
『松倉米吉全集』一巻を編み、くりかえし論じて倦まなかった。」