小沢信男著作 74

 「さて、このだらだら話にも、いよいよ結びをつけねばならないが、さいわいこの作品
の角川文庫版に、佐々木基一さんが『解説』を書いておられるので、その助けを借りま
す。」このように小沢さんは記して「佐多稲子の東京地図」は終わりにむかいます。
 この解説を援用して、さらに積極的な言い方をしています。
「そうなんだが、これをもっと積極的に言ってみたらどうでしょうか。作者は、敗戦の
まえとあとを、地続きに捉えているのだ、と。『道が残っている、ということは、私に
厳然とした喜びを与えている』と、ビシッと言っているではないですか。
 私なんかも、敗戦で世の中がまるで変わったと思いこんでいました。これからどんどん
よくなる一方だと、かなり長いことタナボタ式に思っていたようです。それがだんだん
わかってきた。世の中が一夜でよくなるなんて、いっこうに思わない人もいくらもいたん
だ。事実、焼跡の壕舎住まいが民主主義の到来で、ましてや近代自我の確立でめでたく
なった、なんてことはまずなかったんだだな。長い闘いの道が、あれからもジグザクの
曲折を辿らねばならなかった。」
 これなんて、政権交代があった近年の話であるようにも思えます。「ジグザグの曲折」
を覚悟せずに、「どんどんよくなる一方」なんてことはないのですね。
「私が私になるために、どのような変革のコースを辿ったかということを、記録的に、
かつ断乎として鍛えあげた地声で語ったのが、この作品なのだ、と私は思います。」
 ほとんど結語といっていいところですが、ここでも「地声」とあります。
そうか、佐多稲子さんは、「地声で歌う人」なのかです。