小沢信男著作 73

 小沢信男さんの「佐多稲子の東京地図」では、「声楽家がきて、インター
ナショナルの歌の稽古もするが、『そのときも私だけは声の出し方がちがう。』 
この一行に要注目です。」とあるところが有名です。
 23日に「図書新聞」のコラムでこれに言及しているものを紹介しましたが、
「私の東京地図」のなかで、この歌の稽古についてのくだりはさらっとかかれていて、
読み飛ばしそうなものであります。
「私が女優になることは、階級的義務だ、と私に思わせる説得のしかたなのだ。
そして私は、新宿の専売局の裏にある、さびれた大きな洋館へ、芝居の稽古に通うよう
になっている。・・
 家の入り口にはプロレタリア芸術連盟本部の木札がかかっている。家の内へ入ると
一層荒れていて、広い部屋の中には板張りの床のまま、家具などない。・・
 この新しい、粗っぽい空気に慣れようと身体を固くしている。内輪な歩き方をして、
どこかまだ沈潜した表情の私だけは、ここで劫って場ちがいに見えるにちがいない。
 いつか私が車坂でそのポスターを見た新劇に、名を連ねていた女の声楽家が先生で、
インターナショナルの歌の稽古がある。そのときも私だけは声の出し方がちがう。」
 この作品で「地声」とあるのかと思いましたが、「声の出し方がちがう」だけで
あります。場違いなのが、声の出し方にも影響しているのかと思いますが、そうでは
なく、自分がちがった階級に属する人間であることを痛感したというのが小沢さんの
説明です。
 この小沢さんの読みは、作者 佐多稲子さんの認めるところでもあります。
85年2月22日朝日新聞夕刊「しごとの周辺」というコラムは、佐多稲子さんが「地声
のこと」というタイトルで書いていますが、これには次のようにあります。
「大むかし、『日本プロレタリア芸術連盟』というのに私も参加して、新宿淀橋の
浄水場ぎわにあったその建物に、芝居の勉強ですこし通ったことがある。関鑑子さん
が音楽の指導をして『インターナショナル』や『憎しみのるつぼ』などの歌の稽古を
した。このとき私だけ、わたしのは地声だと言われた。このことは自作『私の東京
地図』にある。
 小沢信男さんがそれに対しておもしろい批評をした。小沢さんは実に独特の、軽妙
の中に味わい深いものを示す作家だが、この批評もそういうもので、小沢さんによれ
ば、地声でない今日の発生法は『西洋渡来の歌唱法で』『近代日本はこの五線譜のオタ
マジャクシを輸入し』『邦楽的音感を駆逐することに大車輪だった。』。佐多は『小学
校もろくに終えられず、ために東洋伝来の歌唱法を破壊されずにすみ』『いざ階級
闘争に参加しようとしたその時に、近代に衝突した』と。
 この地声の個所などに触れるのが小沢さんの独自性だ、と私は感じいったが、昨年
一月の『図書新聞』の『小沢信男論』でやはりそれをとりあげており、同感の人も
いるのだ、とその無署名の文も心に残った。」