小沢信男著作 51

 小沢信男さんの「大東京24時間散歩」の最後に紹介するのは、タウン誌「うえの」の
64年11月号に寄稿した「根津神社由来記」(一部改稿とあり)です。
不忍通りをはさんで、西の根津・千駄木・向ヶ丘、東の谷中・桜木町。この界隈一帯
は、震災も戦災もさいわいにまぬがれた。おかげで瓦屋根の波うつ長屋とか、木造の洋
館とか、明治大正の面影がびっくりするくらい濃厚にのこっていたものだ。近年は都電も
消え、ビル化もすすんできているが、その変化がよそにくらべればまだしもスローで、
だからこの界隈を歩けば、おのずから懐かしい気分が湧く。路地の盆栽、道傍の共同井
戸。人々の生活の感情が、軒先ににじみでているようで、ああ、これが東京らしいくらし
だよなァ、と感じいるわけなのだ。
 東西の台地が住宅・文教・寺社地域で、あいだの低地が商業地で、という、この界隈の
町なみのパターンが安定して、変わりようもないせいではあろう。だから、ちかごろ概念
もあいまいな山の手と下町の対比なども、このあたりの坂の町をあがりおりしてみれば、
しぜんとわかってくることではないか。」 
 現在は「谷根千」といわれる人気スポットになっているのですが、この64年くらいに
は、ほとんど話題にもなっていなかったでありましょう。
 ちなみに、この頃に小沢さんが住んでいたところについて記された文章もありました。
「『新幹線大爆破』という映画を見ていたら、犯人のひとりの住所が、豊島区東池袋5丁
目、というので<アレッ!>と思った。私の住所と同じなもので。五丁目以下の番地は
違うので、どこらへんかと思うまもなく、パトカーが駆けつけたので判ったが、日出町
商店街の裏側の、都電荒川線の線路沿いのアパートだった。<ナルホドナア!>」
 その昔の小沢信男さんの著書には、奥付けにお住まいが記されていて、それを見て、
当方は小沢さんにファンレターを書いて送ったのであります。東池袋というところは、
同じ番地に何軒ものお家があって、ずいぶんとわかりにくい場所でした。この東池袋
折からの不動産バブルの地上げにかかって、移り住んだのが、現在もお住まいの谷中で
あります。
「場所はね、まわりは寺ばっかりで。」といっていますが、谷中の寺にかこまれている
ということは、「界隈の町なみのパターンが、変わりようもない」のでありまして、
住宅は別にして、ほとんど明治の風景のなかに生きているのでありました。
小沢さん流の「東京らしいくらし」というのは、高度成長から取り残されたところで
可能となるもののようです。