小沢信男著作 41

 小沢信男さんのルポといえば、「山岸会」とか「創価学会」に関するものが有名です
が、これらはご本人が気に入ってないせいでしょうか、いまだに単行本に収録されて
いなくて、初出の雑誌で読むしかありません。当方は、これまで機会がなくて、
いまだに手にしていないのでありますので、これは不精なことです。
 今年は、小沢さんのルポなどを収集してみようと思っていたのですが、いまのところ、
まだできておりません。
「サンパン」第13号の一代記には、 60年代中期くらいまで書いたものとして、次の
ようなものがあがっています。
 「科学から空想へ 山岸会拝見記」 「別冊新日本文学」第2号 61年11月 
 「日本山妙法寺 藤井新達とその弟子たち」 「思想の科学」64年8月号
 「大本教 」 日本読書新聞 ( タイトルと掲載号は不明 )
 「創価学会 この隣人たち」 「展望」 65年6月号

「サンパン」第13号の一代記からの引用です。
「分けへだてなしに受け入れて、みんな平等という姿勢は、山岸会にも、日本山妙法寺
も、大本にも共通していました。強引に一括りすれば、民衆の思想運動なんだな。山岸会
のおばさんも、綾部のおばさんも、篤実なオルガナイザーだ。こういう人々がいきいきと
活動しているかぎりは、その運動体は生きている。政治運動だろうが文学運動だろうが、
まったく同じだろうと、ぼくは思います。」  
 こうした活動が認められて出版社から「創価学会」について書き下ろしでとの話がきま
す。この取材の頃は「猛烈な折伏で大拡張中」とあります。
信濃町の本部へ行って『取材させてくれ』というと、飛び込みなのに受け入れてくれた。
運がよかったんだろうね。青年部の幹部がついてくれて、富士の本山も関西の大運動会に
も行った。なかば監視の格好でしたけれど、その幹部とは仲良くなった。のちに代議士に
なった人とで、ホテルのロビーなんかでばったり出会うと、やあやあと懐かしかったです。
あちこちの信者たちに出会うのをさいわい取材しました。そのうちに、一冊分は書けそう
にないとわかった。ぼくのルポは出会い頭の印象記みたいなもので、そのハッとするもの
が本部案内の場所にはないんだよ。取材費ももらっていないし、やめることにした。
 そのとき『展望』が声をかきてくれて50枚ぐらいに書いた。・・・
 ちょっと評判はよかった。後日例の幹部に出会ったら、あのときは若い連中が怒って
つるしあげるというのを、まあまあと押さえたんですよ、と恩を着せられた。事実
だったろうと思います。」