メディア・アート創世記 4

 昨日まで坂根厳夫さんの「美の座標」(みすず書房刊 73年2月25日刊)の書影をとり
あげていましたが、この本のあとがきから引用します。
「 1969年1月から翌70年5月まで、私は朝日新聞の『みんなの科学』欄に、毎週1回55回
にわたって『美の座標』という読みものを連載した。この本は、その続きものをもとに、
写真や図版を加え、解説を一部手直しして、一冊にまとめたものである。・・・
 身のまわりの日常的な風物や技術の断片を、変った視覚から見直すというのが大まかな
ねらいだったが、とくに一貫したポリシーがあったわけではない。あるときはトポロジー
の視覚トリックが登場するかあと思えば、グッドデザインの紹介があったり、日曜工作の
ピンホール写真が出てくるというぐあいに、かなり気まぐれである。むしろ一回一回を、
前回とガラリと趣向を変えることで、視覚的な驚きをたくらんだほどである。」 
 新聞で連載があってから、すでに40年もたっています。いまみても、古く感じないの
は、「変った視覚を見直す」というのが生きているからでしょうか。
「 この本を美しくユニークなものとにするためには、私の十年来の知人である杉浦康平
さんと、その協力者中垣信男さんが、積極的に構成と図版作成に参加してくださった。」 
 坂根厳夫さんは、建築学科の卒業生で新聞記者となったものですが、杉浦康平さんも
建築学科の卒業生でありますので、建築つながりということになります。
「美の座標」には「電算機による映画」という一章があります。この時代には、すでに
コンピュータを利用しての作品つくりが始まっています。
「 ベル電話研究所の電子技術者ケネス・ノウルトンがこの映像のために、特別なプロ
グラムを作って製作に協力した。ちょうど火星探測器マリナー4号が、火星の表面の写真
を画素の明暗に応じて記号化し、地上に送り届けて来たように、電子計算機がパターンの
情報を記号化したり、逆に記号をパターンに転換してつくられた。・・・・・ 
 エレクトロニクスの進歩につれて、芸術家と技術者の協力が世界的にふえている。ベル
の技術者と作曲家、画家らが組んだEATグループは、そのひとつである。日本でも、いま
までの芸術の概念を越えて、電子音やレーザー光線、テレビの映像まで使い、新しい
イメージの世界への模索が始まっている。かって、アートは、技術と同義語であった。
いままた両者は、境界をとりはずして、あい寄ろうとしているのだろうか。」