ことしは辛卯 5

 兎につよいこだわりをもっている作家は、「使者としての少女 兎穴の彼方に」と
いう文章で次のように書いています。
「 ね、兎カタログをでもつくらない。
 兎に関するあらゆる情報をあつめるの。詩、文学はいうに及ばず、ひろく神話伝説
のたぐい、文化人類学、動物生態学、まだまだあるわ、兎の絵、兎の写真、兎狩り、そ
して兎料理法。煮ても焼いても食えない兎なんてものも出てきたりして。
 たまたまあらわれたQ君にそんな話をすると、そうですね、来年は卯年ですし、と
やけに通りがいい。何のことはない、彼自身が卯年で、その母上もおなじとのことだ。
 昭和二年。とすると石牟礼さんや森崎さんとごいっしょね。
 そうですそこが肝腎です。昭和元年というのはわずか一週間足らずでしょう。昭和は
実質的に兎からはじまっているんですよ。Q君はそういって、ついでにおもしろいことに
きづかせてくれた。1987年の次は1999年、つまり二十世紀は卯年を以て終るのだと。
 なるほど、人類は兎にみちびかれて二十一世紀へ歩み入るのだとは。たかが昭和の
幕開け役の兎なんていうのより、こちらのほうがよっぽど気がきいている。
 兎にまかせよう。兎にすべてをゆだねればよい。
 急に目のまえがひらけて楽しくなってきた。」
 卯年というのは12年に一度あるのですが、石牟礼道子さん、森崎和江さんが卯年で
ありましたか。1927(昭和2)年というのは、小沢信男さんと同年でありますが、
小沢さんの印象と、石牟礼さん、森崎さんの印象はずいぶんとちがいますね。
 こんなに兎でもりあがる作家さんの干支はなにかと思うと、1930年生まれですので
午年でしょうか。ご自身には、「兎とよばれた女」(筑摩書房 83年刊 )という
作品があって、兎への執心にはずいぶんと年季がはいっています。 

 「使者としての少女 兎穴の彼方に」から上に引用した文章の前には、次のくだり
がおかれています。
「 はからずもこうしてえとまで関わってきたとすれば、少女と兎との因縁に少しは
こだわってみたくもなってくる。
 はからずも、どころではない。はかられたのだ。もしかして、わたしも。
 兎にいざなわれて少女アリスは異界へ行った。冥界下り、それとも胎内めぐり?
いずれにしてもanywhere out of worldへ。そしてここが肝腎なところだが、チョッキを
着込み、時計などをちらつかせ、さも思わせぶりにして、兎が拐かしたかったのは、
どこまでも女の子であって、少年ではない。相手が男の子だったらば、兎はそんな
お芝居をうつまでもなく、穴の中でぬくぬく昼寝をきめこんでいたことだろう。」
 引用の順があとさきが逆になっていますが、これをみますと、「兎にいざわなわれ
少女」は新しい世界にいくわけですから、21世紀は少女の時代であるということに
なるのでしょうか。
 そうであるのに、この作家が生き延びることができなかったというのは、いつまでも
少女でいることができなかったからでしょうか。少なくとも拐かした兎が悪いわけ
ではないでしょう。
 この作家は、アリス矢川澄子さんでありました。
引用した「使者としての少女 兎穴の彼方に」というエッセイは、亡くなって一周忌
にあわせて刊行された、次の本に収録されています。

いづくへか

いづくへか